「藁綿(わらめん)」の始まり
「藁綿(わらめん)」の始まり 昭和6年(1931)10月に、徳島市の松浦喜一郎という人が、藁を加工して綿のようにして西洋建築の保温材にすることに成功したのが始まりである。
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「破子(わりこ)」の始まり 平安時代の頃から食物を運ぶのには、檜の薄板を折り曲げて作ったワリゴを用い始め、酒の容器は主に竹筒を用いた。また、この頃には餌袋というものが流行したが、これは元は鷹の餌を入れる為の物であったものが、何時しか変じて人の食べ物を入れて携えて歩くようになったのである。
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「割り箸(わりばし)」の始まり 重箱や料理に杉材で作った割り箸を添えて出すようになったのは、江戸時代後期の文化年間(1804~1818)からだといわれている。すなわち江戸川柳にも 割り箸と いふ身花嫁 湯に入りとあり、花嫁があたかも割り箸という身構えで、小股をくっつけて風呂に入る姿を詠んでいる。ああ!想像してしまう。...
View Article「愛国婦人会(あいこくふじんかい)」の始まり
「愛国婦人会(あいこくふじんかい)」の始まり 肥前国唐津の人で奥村五百子が、戦争に出征した兵士の家族を慰安し、救済する事を目的として創立したものである。 明治34年2月に初めて愛国婦人会を組織し、その会長に公爵岩倉久子を推戴したのが始まりである。...
View Article「曖昧女(あいまいおんな)」の始まり
「曖昧女(あいまいおんな)」の始まり 素人とも玄人ともはっきりしない女、つまり見た目には装いも好く何処の誰かと思わせる良い女であるが、実は売色を職業としているような女のことをいう。...
View Article「新しい女(あたらしいおんな)」の始まり
「新しい女(あたらしいおんな)」の始まり 明治44年(1911)9月に、平塚明子(雷鳥)を中心とした当時のいわゆるインテリ婦人による青鞜社が設けられた。これは婦人の自己解放、封建的道徳に対する排撃を目的として起こされた啓蒙運動で、これが「新しい女」という呼称の始まりである。 また、明子は自分より若い洋画家の奥村博史と結婚して、世間から「若い燕」と盛んに騒がれたものである。
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「女アナウンサー(おんなあなうんさー)」の始まり 大正14年(1925)年3月に、東京中央放送局の開設と共に採用された翠川秋子(本名は荻野千代子)が女アナウンサーの始まりである。 次いで、昭和7年(1932)6月にはJOAKのアナウンサー試験に1,200人の応募の中から9名が選ばれたが、その内紅一点に松沢知恵がいた。
View Article「女軽業師(おんなかるわざし)」の始まり
「女軽業師(おんなかるわざし)」の始まり 江戸時代の享保8年(1723)7月に、梅ヶ枝という女太夫が数名の若い女太夫とともに、江戸芝神田明神社境内の小屋で軽業を興行したところ、それまで軽業と言えば男子のみに限られていたので、珍しがられ、美しい女太夫が手に汗を握らすような籠抜けや綱渡りなどを演ずるのを見て、たちまち大評判となった。これが女軽業師の始まりである。
View Article「女剣劇(おんなけんげき)」の始まり
「女剣劇(おんなけんげき)」の始まり 昭和6年(1931)の春に、梶原華嬢という女役者が、浅草で常時剣劇俳優として名声の高かった澤田正二郎の向こうを張って、女ながらに剣をとって舞台で暴れ回ったのが始まりである。...
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「女詞(おんなことば)」の始まり 飲食の席において礼儀を重んじ婦人がその食品の名前を明らさまに呼ぶ事を避けるために、たとえば飯を御臺または供御、菜をおきはり、魚を御なま、味噌をむし、塩をしる物、豆腐をかべ、素麺を細もの、醤油をむらさきなどと称するようになったのは室町時代に始まる。...
View Article「女芝居(おんなしばい)」の始まり
「女芝居(おんなしばい)」の始まり 歌舞伎の元祖と言われている出雲の阿国の話は差し置いて、江戸時代には女芝居というものは行われず、女の役は主として男優が女形(おやま)となって演じたものである。 近代になって、女芝居は明治6年(1873)に、女役者の一座を組織して両国の小屋掛芝居を興行した岩井粂八(くめはち:後の市川九女八)が始まりとされている。...
View Article「女相撲(おんなずもう)」の始まり
「女相撲(おんなずもう)」の始まり 長崎市式見の女相撲は永い伝統をもっている。これはその昔、神功皇后が神楽を舞われた神楽島がすなわち式見であるというので、女相撲が発達したものと伝えられている。...
View Article「女の医学博士(おんなのいがくはかせ)」の始まり
「女の医学博士(おんなのいがくはかせ)」の始まり 最近は映画やテレビなど女医ものが流行っており、美しい女医にまつわるロマンスがメロドラマとして繰り広げられているが、それはともかく女性で医学の博士号を得た天晴れな先人は、昭和6年(1931)11月に論文「邦人聴器の形態学的研究」で医学博士の学位を授けられたのは西村庚子である。
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