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Channel: 原始人の見聞
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「女相撲(おんなずもう)」の始まり

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「女相撲(おんなずもう)」の始まり
 長崎市式見の女相撲は永い伝統をもっている。これはその昔、神功皇后が神楽を舞われた神楽島がすなわち式見であるというので、女相撲が発達したものと伝えられている。
 文献で見られる女相撲は、文禄5年(1596)に出版された本に、京都の伏見に於いて勧進相撲が盛んに行われたと書いてある。それによると、ある日の事、立石という当時有名な関取に向かい「相手所望」と叫んで見物席から現れた者が、なんと二十歳ばかりの妙齢な比丘尼であった。唖然とする観客の前で土俵に上がり、立石と取り組んで苦もなく投げ飛ばしてしまい、ついに大関の名(当時は横綱という階級は無かった)を得たという話が載っている。しかし、興業としての女相撲が行われるようになったのは、江戸時代中期からで、延享2年(1745)に女相撲と座頭相撲とが江戸両国の見世物芝居に掛かったのが始まりと言われている。

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