「割勘(わりかん)」の始まり
兵隊勘定とも言われていた割前勘定の始まりは、江戸時代末期の有名な小説家・山東京伝で、遊蕩文学者に不似合いな商略に長けていた。そして友人等と宴会などを開いた時に、その場で頭割りに勘定する事を始めたので、これを京伝勘定というようになった。それについて友人の滝沢馬琴は、彼を評価して「その性ほどこしを好まざれども、またむさぼることなし。朋友の窮を救ふことなど絶えてなかりき」といい、年金生活の官吏あがりによくある他人に迷惑もかけないが、またかけられたくもないという一種の個人主義の性格をもっていたらしい。