「女の海外留学生(おんなのかいがいりゅうがくせい)」の始まり
「女の海外留学生(おんなのかいがいりゅうがくせい)」の始まり 日本で最初の尼として有名な善信尼(司馬達等の娘)が蘇我馬子に請いて後援を受け、崇峻天皇の元年(588)4月に百済の使者恩卒首信らに従って、彼の地に赴き、2年間の研究の後に帰国し、河内の桜井寺に住んだのが、女の海外留学生の始まりである。
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「女の喫煙(おんなのきつえん)」の始まり 江戸時代中期までは婦女子が煙草を吸うなどという事はなかったという。つまり享保年間に江嶋屋其碩が著した『世間娘気質』のなかに「昔は女のたばこ呑むこと、遊女の外は怪我にもなかりしことなるに、今たばこのまぬ女と精進する出家は稀なり」とあるのを見ると、当時、既に婦女子の間でたばこが盛んに流行していたことが判る。...
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「女の会計士(おんなのかいけいし)」の始まり 会計士は証券取引法によって昭和24年(1948)4月に生まれたもので、財務書類の監査・証明をするのが主たる業務であった。その会計士に女性として初めてパスしたのは、昭和25年10月に受験した山本優子が始まりである。
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「女の教誨師(おんなのきょうかいし)」の始まり 刑務所で受刑者に徳性教育をして、改心するように導く人を教誨師という。明治41年(1908)6月に、京都の西本願寺において20名の女教誨師志願者を募集し、半年ばかりの講習を行って、これを八王子、宇都宮、米沢、大阪の女子監獄に配置したのが始まりである。
View Article「女の刑務所長(おんなのけいむしょちょう)」の始まり
「女の刑務所長(おんなのけいむしょちょう)」の始まり 昭和21年(1946)4月1日に、三田庸子が和歌山刑務所所長に就任したのが、日本における女性刑務所長の始まりである。...
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「女の検事(おんなのけんじ)」の始まり 検事は検察官の職階の一つで、検事総長、次長検事、検事長、検事、副検事に分けられる。昭和24年(1949)11月2日に、東京地方検察庁の検事に任ぜられた門上ちえ子が日本における女検事の始まりである。
View Article「女の皇太子(おんなのこうたいし)」の始まり
「女の皇太子(おんなのこうたいし)」の始まり 天平10年(738)正月に、聖武天皇の皇女阿倍内親王(母は光明皇后)を皇太子とし、皇女立太子の新事例をつくられたのが始まりである。これが後の46代孝謙天皇(在位:749~758年)である。在位中に東大寺の大仏を開眼した。道鏡を寵愛し、従兄の藤原仲麻呂らの反乱を招いた。その後再び皇位につき48代称徳天皇(在位:764~770年)となっている。
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「女の碁客(おんなのごきゃく)」の始まり 江戸時代の末期、江戸下谷黒門町の住人・三河善助の娘佐野は幼い時に碁院林家の分家である林藤三郎の養女となり、16歳の時に初段となり、次々と進み四段となった。日本で囲碁が開けてから女性の高段者としては初めてであり、明治時代の碁壇の女傑と称された。
View Article「女の裁判官(おんなのさいばんかん)」の始まり
「女の裁判官(おんなのさいばんかん)」の始まり 昭和24年(1948)5月17日に、新憲法による司法修習生制度の判検事、弁護士の第一回修了式が行われた時に、122名の修了生の中に唯一人の女性石渡満子がおり、6月早々に日本で最初の婦人裁判官としてデビューしたのが始まりである。
View Article「女の参議院議員(おんなのさんぎいんぎいん)」の始まり
「女の参議院議員(おんなのさんぎいんぎいん)」の始まり 昭和22年(1947)4月20日に行われた参議院議員選挙で、日本で最初の女性議員として全国区では赤松ツネ、河崎ナツ、高良とみ、木内きょう、奥むめお、宮城タマヨ、小杉イ子、竹田菊、井上なつゑの9名が当選し、地方区では東京の深川タマエ、山梨の平野成子の2名が当選した。 それにしても最近の国会議員は資質が悪い。税金泥棒と化している。
View Article「女の助役(おんなのじょやく)」の始まり
「女の助役(おんなのじょやく)」の始まり アメリカで哲学博士号を修得した高良とみが、昭和21年(1946)正月に呉市の助役になったのが、日本における婦人助役の始まりである。
View Article「女の小学校長(おんなのしょうがっこうちょう)」の始まり
「女の小学校長(おんなのしょうがっこうちょう)」の始まり 大正9年(1920)4月に、島原つる子という人が、宮城県の小学校長になったのが始まりである。次いで、昭和6年(1931)8月20日に日本橋十恩小学校の訓導(旧制小学校の教員のことで、現在の教諭のこと)であった木内きようが、北豊島郡の志村第一小学校の校長に栄転したのが、東京で女性が校長になった始まりである。
View Article「女の女学校長(おんなのじょがっこうちょう)」の始まり
「女の女学校長(おんなのじょがっこうちょう)」の始まり 明治8年(1875)に東京の神田猿楽町に跡見女学校を創設し、その校長になった跡見花蹊が日本における女性の女学校長の始まりである。また、これと並んで有名だったのは、明治32年に実践女学校の校長となった下田歌子と、明治36年に東京高等女学校の校長になった棚橋絢子がいる。
View Article「女の政治家(おんなのせいじか)」の始まり
「女の政治家(おんなのせいじか)」の始まり 日本における女性政治家としての源政子は別として、近代の草分け的な女性政治家は高知の民権婆さんと言われた楠瀬喜多が、明治6年(1873)頃から板垣退助の立志社の客員として、荒武者鬚男の中で丸髷に小紋の被布姿で演壇に現れ、民論を鼓吹していた。...
View Article「女の政務次官(おんなのせいむじかん)」の始まり
「女の政務次官(おんなのせいむじかん)」の始まり 昭和23年(1948)正月21日に、榊原千代が司法政務次官に、次いで4月1日に赤松常子が厚生政務次官に就任したのが始まりである。
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