「女の内股歩き(おんなのうちまたあるき)」の始まり
女の内股歩きは江戸時代末期に花柳界から始まった。近世における舞踊劇の名人・中村富十郎は両股を密接して歩行することを工夫し、舞台の上の姿勢を内股によって飾り、その秘訣を二代目尾上紋十郎に伝えた。その尾上紋十郎が、天明5年(1785)に、さらに板東三津五郎に伝え、三津五郎はさらに進んで、歩くだけではなく、紙一枚を両股に挟んで所作し、踊っても紙が落ちなかったという。花柳章太郎の『芸談苦心の裏』にもこのことが語られており、彼も女形を演ずる時は、股の間に紙を挟んで、色気を出す工夫をし、稽古に励んだという。しかし、こんにちでは内股で歩くのは中年以上の婦人であって、若い娘などは和装に草履の際は、裾さばきよく外へ外へとステップを踏んで歩いている。何れが是か非か分からない。でも、内股の方が色気を感じる事は確かだ。