$ 0 0 「新しい女(あたらしいおんな)」の始まり 明治44年(1911)9月に、平塚明子(雷鳥)を中心とした当時のいわゆるインテリ婦人による青鞜社が設けられた。これは婦人の自己解放、封建的道徳に対する排撃を目的として起こされた啓蒙運動で、これが「新しい女」という呼称の始まりである。 また、明子は自分より若い洋画家の奥村博史と結婚して、世間から「若い燕」と盛んに騒がれたものである。