「曖昧女(あいまいおんな)」の始まり
素人とも玄人ともはっきりしない女、つまり見た目には装いも好く何処の誰かと思わせる良い女であるが、実は売色を職業としているような女のことをいう。
これは明治10年頃から使われ始めた言葉で、この種の女が出入りする家を曖昧屋とか曖昧宿と呼ぶようになった。すなわち、明治10年版の『鴨東新誌』に「往時(むかし)の妓輩は皆二三の狎客(なじみ)を擁したが、新会一番、一岐一客の制が建てられてから、妓は情を定めてすなわちその客の姓名貫籍を記しかたく封じてこれを券番に送り、その赤縄絶ゆる日、その記を乞うて帰るの規(さだめ)で、その既に客を獲る者は絶えて他客となじむ事を許されなかった。しかもなお狎(な)るる者あれば、俗にこれを曖昧と呼び定情の客、媒酌(なかだち)の楼は公然曖昧の罪を問うた」とあり、当時の花柳界における仁義の厳しさを伝えている。