「病人ホテル(びょうにんほてる)」の始まり
「病人ホテル(びょうにんほてる)」の始まり 昭和27年(1952)1月28日に開所式を行った東京都板橋区6番地の元陸軍第二造兵廠内の愛世病院は、アメリカやイギリスで行われているオープンシステムの一部を取り入れた病人ホテルで、日本では初めての試みであった。...
View Article「謡(うたい)」の始まり
「謡(うたい)」の始まり 足利三代将軍義満の時、結崎次郎清次という人物が現れ、将軍の深い信寵を受けて観阿彌といい、それまでの猿楽および田楽などの舞曲を折衷してついに新曲を案出し、これとともに謡曲を起こしたのが始まりである。 ついで足利七代将軍義政の代になって、観世(初代清次)、金春(初代喜氏)、寶生(初代蓮阿彌)、金剛(初代氏勝)の四流が起こり、これを春日四座の太夫と称するようになった。...
View Article「病理学(びょうりがく)」の始まり
「病理学(びょうりがく)」の始まり 江戸時代末期の弘化4年(1847)に緒方洪庵が『アルゲマイネ・パトロギー』を翻訳して『病理学通論』を著したのが始まりである。 次いで、明治4年(1871)にオランダ人のエルメレンスが来日して大阪医学校の教授となり、明治7年には『原理学通論』を著してウイルヒョーの細胞病理学を伝えた。...
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「歌垣(うたがき)」の始まり 嬥歌会(かがいかい)とも称し、男女が多く山野に会合し、互いに手をつないで垣根を結ったようになって歌を唄い、舞踊しながらその間に配偶者を選ぶことを言う。その始まりははっきりしていないが、神武天皇が大久米命を仲立ちとして三輪五十鈴媛命と高佐士野(たかさしぬ)で出会い、歌を唱和して意を通じ、妃としたことに始まるという。...
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「ビル病(びるびょう)」の始まり ビルの室内でイオンの欠乏により神経衰弱によく似た症状を現す、都会の高層ビルで仕事をする者にのみ起こる特有の病気であった。内務省社会局では昭和10年(1935)3月に、初めてこれをビル病と名付けて正体の究明をすることになった。
View Article「歌御会始(うたごかいはじめ)」の始まり
「歌御会始(うたごかいはじめ)」の始まり 宮中で行われる新年最初の歌会のことで、御歌会始めともいう。文献に現れるのは、後土御門天皇の文明15年(1483)正月17日に行われたのを始めとしている。 明治3年(1870)正月9日に、古例を復興して宮中御歌会始を行う旨の通達があり、勅題を「春来日暖」とされ、勅任官ならびに宮、華族に詠進させて、24日に歌御会始を行った。...
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「ヒロポン」の話 昭和20年(1945)8月の終戦直後から一般に登場したヒロポンは、太平洋戦争末期から軍の指令によって大量に生産されたが、これは出撃する特攻隊にくまなく渡されたもので、まさに死地へ赴く若い隊員に最後の力を振り絞らせる気付け薬として与えられたのである。...
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「歌祭文(うたざいもん)」の始まり 江戸時代中期頃より盛んに行われ始めた俗謡の一つで、浪花節の源流とも言われている。 『聲曲類纂』のなかに「祭文は山伏の態なりしを、小唄を取り交へてつくり、のちまた三味線にさへあわせてうたひけるなり。今世祭文と名づくるは、中古説経浄瑠璃と号せしものの一変せしものともいへり。錫杖を三味線にかへたるも中古よりの事なり」とある。...
View Article「枇杷薬湯(びわやくとう)」の始まり
「枇杷薬湯(びわやくとう)」の始まり 江戸時代中期に京都烏丸の薬屋で売り始めた暑気払いの妙薬である。これを売り歩く商人は「枇杷湯薬」と書いた長方形の箱二つに棒を通してかつぎ、なかには釜や茶碗などを入れて行商したものである。なお、その商標は三本足のカラスで、枇杷の葉の毛を取り除いて乾燥し、これを主剤として煎じたものであるが、ちょっと口当たりが良かったので一般に喜ばれた。
View Article「貧民病院(ひんみんびょういん)」の始まり
「貧民病院(ひんみんびょういん)」の始まり 江戸時代中期の享保7年(1722)12月4日に、江戸小石川の白山に設けられた貧民病院が始まりである。これは徳川八代将軍吉宗が、町医者の小川笙船が目安箱に投じた建言を採用して創設したもので、ここでは笙船父子をはじめ岡丈庵や林良適らが治療や投薬にあたり、患者は主に身寄りのない孤独な者や貧しくて病める者などであった。なお、当時はこれを「小石川養生所」と呼んでいた。
View Article「歌袋(うたぶくろ)」の始まり
「歌袋(うたぶくろ)」の始まり 和歌の草稿を入れておくための袋で、座敷の柱に掛けておいたものである。その起源について『歌袋考』のなかに「侍従為顕の歌によらせたまひて、後水尾院の御製作ありしと申しつたへたり」とあり、その藤原為顕の歌とは「いたづらに啼くや蛙の歌袋、おろかなる身に思ひ入らはや」というものである。
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「風疹(ふうしん)」の始まり 麻疹(はしか)に似た、軽い接触性の皮膚伝染病で、風疹ウイルスの感染によって起こる。小円形、淡紅色の発疹が顔や頭部に生じ、次いで全身に及ぶが3・4日で治る。 日本では平安時代から流行し始め、その当時は「風癮疹(かさぼうし)」といわれており、鎌倉時代から室町時代に掛けて盛んに流行した三日病も、この三日麻疹(みっかばしか)すなわち風疹であったと言われている。
View Article「腕相撲(うでずもう)」の始まり
「腕相撲(うでずもう)」の始まり 古くは「腕押し」ともいい、座ったまま二人向かい合って互いに右手を握りあって、肘を平面につけ、相撲のように気合いを図り、相手の腕をねじたおそうとして競う遊びのことを言う。...
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「フォン」の話 フォンFonとは音の強さを表す単位のことを言う。健康な人の耳で聞こえる一番弱い音が0フォン、その10倍の強さが10フォン、100倍が20フォン、1,000倍が30フォンとなっている。...
View Article「不感症(ふかんしょう)」の話
「不感症(ふかんしょう)」の話 1910年(明治43)にドイツの医者オットー・アドラーが、女性の不感症(Frigidity)の書籍を著したのが始まりである。...
View Article「梅花の宴(うめのはなのえん)」の始まり
「梅花の宴(うめのはなのえん)」の始まり 仁明天皇の承和12年(845)2月に、紫宸殿に臨まれて侍臣に酒をたまい、梅花を折って皇太子以下の頭に挿し、宴楽をされたと言うことが『続日本紀』にあるのを見ると、梅花の宴も古くから行われていたことが判る。しかし、この梅花の宴も、村上天皇の天徳4年(960)からは桜に改められたという。
View Article「楳茂都流(うめもとりゅう)」の始まり
「楳茂都流(うめもとりゅう)」の始まり 江戸時代末期に、大坂の老松町に住んでいた下司正蔵という人は天性舞踊を好み、田楽の踊りに色々の工夫を加えて、ついに独特の新しい舞踊を起こして楳茂都扇性(うめもとせんせい)と名乗り、家元になったのが始まりである。...
View Article「腹式運動(ふくしきうんどう)」の始まり
「腹式運動(ふくしきうんどう)」の始まり 「胃上げ運動」とも言われた。これはイギリスのジョージⅤ世の侍医アービュスノット・レイン卿によって始められたものである。...
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