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Channel: 原始人の見聞
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「楳茂都流(うめもとりゅう)」の始まり

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「楳茂都流(うめもとりゅう)」の始まり
 江戸時代末期に、大坂の老松町に住んでいた下司正蔵という人は天性舞踊を好み、田楽の踊りに色々の工夫を加えて、ついに独特の新しい舞踊を起こして楳茂都扇性(うめもとせんせい)と名乗り、家元になったのが始まりである。
 楳茂都の名は、彼が天満神社の氏子であり、かつ梅の木が好きだった上に、「浪花津に咲くやこの花」の歌に基づいて家の名を「鶯谷」と称し、舞の流名を「楳茂都」として家元になったと言われている。その子の二代目扇性(路三郎)になって大いに発展し、京阪はもとより東京の各流派の芸風を組み入れて特色のあるものになった。

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