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Channel: 原始人の見聞
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「ヒロポン」の話

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「ヒロポン」の話
 昭和20(1945)8月の終戦直後から一般に登場したヒロポンは、太平洋戦争末期から軍の指令によって大量に生産されたが、これは出撃する特攻隊にくまなく渡されたもので、まさに死地へ赴く若い隊員に最後の力を振り絞らせる気付け薬として与えられたのである。
 それが敗戦後に、製薬会社にストックされていたものが多量に出回り、ものすごいヒロポニアを生むに至った。こうして混乱した戦後社会にもてはやされ、「ポン中(ヒロポン中毒)」とか「ヒロポニア」などの流行語を生んだほどである。そのために多くの悲劇や犯罪が生じたが、昭和26年7月から覚醒剤取締法の適用を受けるようになってから、盛んに密造されるようになり、昭和2810月の厚生省推定によると、全国の中毒患者数は70万人に達し、その内の20%が若い男女であった。
 その中毒患者の話によると「電柱でも人の影に見える。雨の音も自分を呼んでいるようで、目をつぶると色々な声がして、火花がチカチカして、じっとしていられなくなる」また「やせてきて、骨が軽石のようになり、ガサガサ音がするように感じる」「不精になって、寝たままで、先の丸くなった針をヤスリでこすって射つんだが、抜く時に肉に引っかかるんだ、それでもいいんだからなあ」「腕の血管は硬くなり、ブスリと音がするようになる。しまいには手の甲の血管に打つ」と告白している。

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