「町会所(まちかいしょ)」の始まり
「町会所(まちかいしょ)」の始まり 江戸時代後期の名宰相として知られた老中松平定信が、寛政3年(1791)に市民救済を目的として江戸の浅草向柳原に町会所を設けたのが始まりである。 これは町費を積み立てて籾(もみ)を貯蔵し、凶荒とか非常の場合の賑給に当て、また細民の救助に用いることにした。
View Article「燐寸の配給(まっちのはいきゅう)」の始まり
「燐寸の配給(まっちのはいきゅう)」の始まり 昭和14年(1939)12月15日に、長野県小県郡神科村(長野県上田市住吉他)の産業組合が全国に先駆けて清酒・砂糖・燐寸などの切符制配給を行ったのが始まりである。 次いで、昭和15年6月1日から全国的に燐寸の自由販売を止め、まず六大都市から次第に切符制による配給を実施するようになった。
View Article「纏(まとい)」の始まり
「纏(まとい)」の始まり 纏は馬幟(うまじるし)から変化したものと言われている。これが消防組の標(しるし)となったのは、江戸時代中期の享保4年(1719)に、大岡越前守忠相が江戸町奉行であった時に初めて制定したものである。...
View Article「真魚始(まなはじめ)」の始まり
「真魚始(まなはじめ)」の始まり 子供が誕生してから初めて魚を食べる儀式のことである。百日目にするところが多く、魚味祝(ぎょみいわい)ともいう。後世になって「食初祝(くいはじめのいわい)」というようになった。...
View Article「丸髷(まるまげ)」の始まり
「丸髷(まるまげ)」の始まり 主に既婚の婦人が結う髪の一種であるが、中には待合い料理屋の女中などにこの髪形を結う者が居る。 江戸時代中期の正徳・享保年間頃から行われ始め、明治・大正時代にいたってはほとんど全国を風靡したものである。すなわち、喜多村節信の『嬉遊笑覧』には「丸曲はむかしなきものなり、勝山の変じたるなるべし」とある。...
View Article「萬年葛籠(まんねんつづら)」の始まり
「萬年葛籠(まんねんつづら)」の始まり 葛籠とはツヅラフジのツルを編んで作った衣装入れの蓋付き籠のことである。 江戸時代中期頃から作られたと思われ、菊岡沾凉が著した『本朝世事談綺』のなかに「元禄のはじめ、神田鍋町つづら屋甚兵衛といふもの、はじめてこれをつくる。此の者もと人形屋なり。張り子細工よりもとづきて、経木をなかへ入れ張り立てたる也」とある。
View Article「御薪(みかまぎ)」の始まり
「御薪(みかまぎ)」の始まり 奈良時代から正月15日に諸寮司および畿内諸国から宮内省に進献する年中用料の御薪の儀式のことで、「みかまぎ」というのは御竈木の意味である。...
View Article「ミシン」の始まり
「ミシン」の始まり 織物や革を縫い合わせる裁縫機械のことである。日本では江戸時代末期の万延元年(1860)に遣米使節の新見正興に随行した中浜万次郎が、帰国する際に裁縫ミシンを携えてきたのが始まりとされている。...
View Article「水揚(みずあげ)」の始まり
「水揚(みずあげ)」の始まり 元は船の貨物を陸に運び揚げることであったが、後世では専ら花柳界で用いられる言葉になった。それは芸妓や娼妓が初めて客に接することを言い、処女を新艘(しんそう)と呼んだことがあったので、船の縁語から転化してこのような意味に使われるようになったという。...
View Article「水掛祝(みずかけいわい)」の始まり
「水掛祝(みずかけいわい)」の始まり 前の年に新婦を娶った者が居ると、その友達が誘い合って新年の御祝いをすると言い、婿の家に押しかけていき、婿の家では酒肴を用意してこれを待ち受けるのが例となっていた。一通りの宴飲盃酌が済んでから、婿を庭に抱えだし、頭から水を浴びせかけるのである。...
View Article