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Channel: 原始人の見聞
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「町奴(まちやっこ)」の始まり

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「町奴(まちやっこ)」の始まり
 江戸時代前期の寛永・慶安年間の頃には旗本奴という無頼の徒が市中を横行して庶民を苦しめたので、任侠の徒がこれに対抗して発生したのが町奴である。その当時の代表的な人物は播随院長兵衛をはじめ唐犬権兵衛、夢の市郎兵衛、はなれ駒四郎兵衛などがおり、また団体では笊籠組、鐵棒組、鶺鴒(せきれい)組、唐犬組などが有名である。その気質や風俗については『我衣』のなかに「その振舞ひ人に負くることをいさぎよしとせず、あるひは菓子や酒や茶や等にても空腹のせつは入ってこれを食ひ、持ち合せなきときは今日は払はぬどといふ、商人は苦しからず候とて慇懃(いんぎん:丁寧)にすればよし、もしあしらひ悪しきときは六つかしくいうて身上も仕舞ふほどなり、慇懃にすれば一禮を述べて立ち、かさねて五匁六匁の食事なりとも、このあひだの代物は何程と細かにいはずして、慶長金百疋あるひは一両も投げだし、先頃は過分であったとて遣はす、つりを上げんといへば却って立腹す、また他人にても仲間にても頼まれ、何にとぞ御加勢を願ひ奉るとひたすらに願へば、命を捨てても反古に致さず、ただ男の道の強をもてにして義をまもり節をうしなはず、さしてあばれ歩くにてもなし、無理なることもせず、無心がましきことなどは仲間の法度なり、少しでも人にやわらかきことばをいふことを第一にきらふ組合なり、仲間入するときは伝手をもとめて金銀を出し仲間に入り、もし親兄弟もってのほかのこととて勘当すれば、仲間にて楽々とすこしも不自由をさせず」とある。これが後の侠客の始まりである。

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