「土蔵(どぞう)」の始まり
「土蔵(どぞう)」の始まり 古語に「塗籠(ぬりごめ)」と言い、四方を壁で塗り込めて火災に備えた小部屋を納戸や寝室に用いた。 弥生・奈良・平安時代には、木を組んで倉庫を造り、床を高くして湿気を防いだが、鎌倉時代になって京都の商家では土倉を設け始め、室町時代には専らこの土倉形式が行われ、特に質屋は物品を所蔵するためにこれを用いたため、質屋のことを土倉(つちくら)と呼んだ。
View Article「鳶(とび)」の始まり
「鳶(とび)」の始まり 鳶は火消人足のことを言い、「伝法」「気おい」「勇み」「いなせ」「仕事師」などとも呼ばれる。鳶の中には「頭取」「頭」「纏(まとい)」「梯子(はしご)」「平人」「人足」の6階級がある。...
View Article「仲居(なかい)」の始まり
「仲居(なかい)」の始まり 料理屋や旅館・待合茶屋などの女中を京阪地方では仲居と言った。東京における仲居よりも頗る勢力を持ち、古参の仲居は客や芸妓などに対して主人以上の権威を持っていたものである。...
View Article「仲人(なこうど)」の始まり
「仲人(なこうど)」の始まり 仁徳天皇の40年(352)2月に、雌鳥皇女(めどりのひめみこ)を妃にするために隼別皇子(はやぶさわけのみこ)を媒(なかだち)としたのが始まりとされている。...
View Article「中折帽子(なかおれぼうし)」の始まり
「中折帽子(なかおれぼうし)」の始まり 明治24年(1891)に三井の番頭をしていた益田孝が西洋から帽子を持って帰国し、「あちらでは斬髪した頭にはこうゆうものをかぶっている。わが國でも四民斬髪となったからには、これがいるであろう」と宣伝して廻り、渋沢栄一がこれに共鳴して帽子会社を設立し、製造を始めたのが、日本における中折帽子の始まりである。
View Article「長脇差(ながわきざし)」の始まり
「長脇差(ながわきざし)」の始まり 江戸時代中期頃の脇差は、一尺(約30.3㎝)以下が小脇差、一尺七寸(約51.5㎝)までが中脇差、一尺九寸(約57.6㎝)までが大脇差、二尺(約60.6㎝)になると刀といった。特に長脇差という寸法はないが、大体において大脇差以上のものを呼んだと思われる。...
View Article「名主(なぬし)」の始まり
「名主(なぬし)」の始まり 江戸では町名主あるいは組頭、京都では町代、大坂では町年寄と呼び、郡村では町年寄または村名主と言い、今日の町村長よりも広い権限と実力を持っていた...
View Article「名乗と実名(なのりとじつめい)」の始まり
「名乗と実名(なのりとじつめい)」の始まり 平安時代中期頃までは実名の上に官名を付け、例えば常陸介満仲とか陸奥守頼義などと称したが、源義家の頃から綽名(しゃくめい:あだな)や通称のもとに実名を付けて呼ぶようになった。例えば八幡太郎義家、新羅三郎義光、鎮西八郎為朝、九郎義経、熊谷次郎直実、佐々木三郎高綱、金子十郎家忠などがそれである。...
View Article「男色(なんしょく)」の始まり
「男色(なんしょく)」の始まり 男色とは男の同性愛のことで、衆道、かわつるみ、密道、若道、おかま、陰間などとも言う。『宇治拾遺物語』には「かわつるみ」の名が見られ、平安時代には既に行われていた。すなわち、江戸時代の延宝4年(1676)8月に北村季吟が著した珍本『岩つつじ』に、弘法大師の弟子の眞雅僧都(そうづ)が在原業平に宛てた「思ひ出づる ときはの山の 岩つつじ いはねばさあれ...
View Article「二階屋(にかいや)」の始まり
「二階屋(にかいや)」の始まり 家屋に二階を設けるようになったのは平安時代末期からであるという。しかし、一般的なものではなかった。鎌倉時代になってようやく発達し、例えば『花園院宸記』の文保三年(1319)十一月十九日のところに「上皇(花園天皇のこと)俄かに御幸……西園寺南庭方歷覧……二階方に至って深更におよび歷覧」とあり、西園寺亭に二階があったことが記載されている。...
View Article「塗屋(ぬりや)」の始まり
「塗屋(ぬりや)」の始まり 丹青の漆で殿堂を塗ることを言う。これは平安時代初期の延暦13年(794)に、都を山城國の平安京に営まれた時、支那の風に習って、大極殿およびその門や庇など全てを赤漆で塗られたのが始まりである。 その後、防火のために外壁を土や漆喰で塗り固めた家を塗屋と呼ぶようになった。
View Article「鼠の買上(ねずみのかいあげ)」の始まり
「鼠の買上(ねずみのかいあげ)」の始まり 明治33年(1900)正月15日に、東京市はペストの予防のために、捕獲した鼠を1匹5銭で一斉に買い上げたのが始まりである。次いで大阪・広島・神戸などの都市でも行われた。
View Article「根付(ねつけ)」の始まり
「根付(ねつけ)」の始まり 印籠や煙草入れ、巾着などの紐や鎖に取り付ける装飾具のことで、江戸時代の寛永期頃に本阿弥光悦、野々口立甫などが製作を始めたと言われている。最もその作品は極めて少なく、道楽に過ぎなかった。 元禄期になると根付の流行はとみに盛んになり、その製作技術も大いに発達して、精巧な名品が多く作られるようになった。...
View Article