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Channel: 原始人の見聞
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「盗人(ぬすびと)」の始まり

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「盗人(ぬすびと)」の始まり
 安土桃山時代の『言継卿記(ときつぐきょうき)』の文禄三年(1594)八月二十四日のところに「天晴、盗人すり十人、また一人者釜にて煎らる、三條橋間の川原にて成敗なり、貴賤群衆也」とあるように、豊臣秀吉のために捕らえられて、その子一郎とともに釜に入れられ、前代未聞の油による煎り殺しの刑に処せられた盗賊石川五右衛門が、まさに死のうとする時に「石川や浜の真砂はつくるとも世に盗人の種はつくまじ」と詠じたように、盗人は尽きることがない。
 古くは平安時代に現れて源頼光に斬られた盗賊のナンバーワン袴垂保輔(はかまたれのやすすけ)がおり、次いで承安4年(1174)の春に牛若丸(源義経)に殺された怪盗熊坂長範がいる。また、江戸時代に処刑された名のある盗賊は、白井権八(延宝7年11月3日刑)、極印千右衛門(元禄15年8月26日刑)、村井長庵(享保2年6月28日刑)、直助権兵衛(享保6年6月23日刑)、日本左衛門(延宝4年3月11日刑)、稲葉小僧新助(天明5年1022日刑)、眞刀徳次郎(寛政元年6月7日刑)、鬼坊主清吉(文化2年6月27日刑)、河内山宗俊(文政6年7月2日死)、鼠小僧次郎吉(天保3年8月19日刑)など、流石は大先輩である五右衛門の名予言が間違えなかったことを照明している。
 なお、統計によると、盗人が忍び込むのは夕方になって主人がまだ戻らず、子供も近所に遊びに行き、奥さんは晩飯のおかずの材料を仕入れに出かけたところを狙い、あるいは就寝しようとして戸締まりもしないで、うつらうつらしている時につけ込むか、または朝の寝ぼけ頃、一仕事して始発の電車で高飛びする時間を撰ぶことが一番多いという。
 5人の盗賊が共謀して金を奪い、その金を分配しようとしたが五両ほどどうしても足りない。血眼になって探したが、その内の一人が大声で叫んだ「おいおい、皆んな用心しろ、この中に泥棒が居るぜ」。

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