「名乗と実名(なのりとじつめい)」の始まり
平安時代中期頃までは実名の上に官名を付け、例えば常陸介満仲とか陸奥守頼義などと称したが、源義家の頃から綽名(しゃくめい:あだな)や通称のもとに実名を付けて呼ぶようになった。例えば八幡太郎義家、新羅三郎義光、鎮西八郎為朝、九郎義経、熊谷次郎直実、佐々木三郎高綱、金子十郎家忠などがそれである。
こうした風習は江戸時代末期まで続いたが、明治5年(1872)5月になって、通称実名の併用が停止され、必ずその一名に従うようになった。これ以降、西郷吉之助隆盛は西郷隆盛に、大久保市蔵利通は大久保利通に、大隈八太郎重信は大隈重信というように、通称を棄てて実名だけ使用するようになった。