「根付(ねつけ)」の始まり
印籠や煙草入れ、巾着などの紐や鎖に取り付ける装飾具のことで、江戸時代の寛永期頃に本阿弥光悦、野々口立甫などが製作を始めたと言われている。最もその作品は極めて少なく、道楽に過ぎなかった。
元禄期になると根付の流行はとみに盛んになり、その製作技術も大いに発達して、精巧な名品が多く作られるようになった。
しかし、印籠などの根付を専門に製作する根付師という一種の彫刻(ほり)職人ができたのは天明から寛政期にかけて、松民齋親正と銘を打って現れたのが最初である。彼は平賀源内の弟子で、師匠の命を受けて発明品を製作していたが、それでは生活が出来ないので時の流行を考えて根付を作り始め、ついに名人と称せられるようになった。当時の根付は主として葛飾北斎の漫画を下絵として彫ったものが多かった。松民齋親正の弟子には竹陽齋友親がいる。
なお、世に聞こえた根付師には、江戸の三輪、和流、出目右満、是楽、中山大和女、大坂の吉村周山、雲樹洞院幣丸、蓑屋清七、九郎兵衛、根来宗休、龍木勘蔵、雲浦可順、勘十郎、草花平次郎、我楽、舟月、佐武宗七、印齋、平助、和性院、京都の友忠、河井頼武、奉眞、廣葉軒、正直、清兵衛、紀州の小笠原一齋、長尾太市郎、又右衛門、江などが居た。