「男色(なんしょく)」の始まり
男色とは男の同性愛のことで、衆道、かわつるみ、密道、若道、おかま、陰間などとも言う。『宇治拾遺物語』には「かわつるみ」の名が見られ、平安時代には既に行われていた。すなわち、江戸時代の延宝4年(1676)8月に北村季吟が著した珍本『岩つつじ』に、弘法大師の弟子の眞雅僧都(そうづ)が在原業平に宛てた「思ひ出づる ときはの山の 岩つつじ いはねばさあれ 恋しきものを」の和歌をとりあげて男色の最も古いものとしている。また、『賤者考』に「男色はいつ頃よりかありはじめけむ、始つまびらかならず、まずは仏法渡来ののち、僧の女犯を禁ずるより出しは、おのづから勢いなり、(中略)されど中世以後軍陣には婦女を誘ふことを禁ずるより起こりて応仁以来の乱世より、武家にも執するやから多く、その頃よりやや盛んになりたるも、おのづからの勢いなり」とあり、男色の始まりは、みな桑門(僧侶)より始まったものとされている。