「仲人(なこうど)」の始まり
仁徳天皇の40年(352)2月に、雌鳥皇女(めどりのひめみこ)を妃にするために隼別皇子(はやぶさわけのみこ)を媒(なかだち)としたのが始まりとされている。
日本における最初の法律、すなわち大宝元年(701)8月に制定された律令で、初めて媒介人の位置が認められている。それによると、可嫁年齢は男性が15歳以上、女性が13歳以上に達すると、媒介人を立てて、まず女性の家長の承諾を請うと、女性の家では婚主を定めたが、婚主はたいてい戸主がなる。それが決まってから近親にも相談して媒介人に諾否を答える。男性の方でも婚主を決めて妻を定める協議や準備を行った。こうして正妻は夫の家に迎えられるが、ほかの副妻(妾)は生家において男性の方から通ってくるのを常とした。しかし、婚礼式がどのように行われたかは明らかではない。
正式な仲人を立てて盛んに行われるようになったのは江戸時代に入ってからであり、仲人の立場もはっきりして川柳子の最も喜んだ好題目となった。
仲人の夫婦もその夜は古枕 (江戸川柳)