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Channel: 原始人の見聞
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「寝巻(ねまき)」の始まり

「寝巻(ねまき)」の始まり...

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「年賀状(ねんがじょう)」の始まり

「年賀状(ねんがじょう)」の始まり 葉書に謹賀新年、恭賀新年、元旦、賀正、新正、祈禧などと書いて、新しい年を迎えたことを祝う挨拶に代えて出すようになったのは、明治12年(1879)の頃からである。それが年を追うに従って盛んになり、取り扱い上の混雑を防ぐために年賀郵便を特別扱いする方法が採られるようになったのは明治39年(1906)12月からである。

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「年頭慶賀(ねんとうけいが)」の始まり

「年頭慶賀(ねんとうけいが)」の始まり 歳首慶賀の始まりを神武天皇が即位された日とするものが多いが、これは正確ではない。『日本書紀』の孝徳天皇の2年(646)正月朔のところに「賀正の禮畢(おわ)り、すなわち改新之詔を宣す」とあるのが、文献に見られる始まりである。次いで、天智天皇の4年(665)...

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「年齢の計算(ねんれいのけいさん)」の始まり

「年齢の計算(ねんれいのけいさん)」の始まり 明治6年(1873)2月に「今より年齢を計算候儀、幾年幾月と相数うべきこと、但し旧暦中の儀は一干支(かんし)をもって一年とし、其生年の月数は本年の月数を通算し、十二ヶ月をもって一年と致すべきこと」と初めて制定されたが、年齢の数え方が難しくなったのは、西洋暦が頒布されたためである。...

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「幟(のぼり)」の始まり

「幟(のぼり)」の始まり 後花園天皇の康正2年(1456)に、畠山政長が旗に乳(にゅう)をつけて竿に通して用い、当時これを乳付の旗と称したのが始まりである。それ以後、旗と幟は別のものとして取り扱われるようになった。

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「蚤取粉(のみとりこ)」の始まり

「蚤取粉(のみとりこ)」の始まり 明治20年(1887)に蚤取粉の原料となる除虫菊が初めてオーストリアから輸入された時は、まだ珍しい草として観賞されたに過ぎなかったが、それから間もなく紀伊国有田郡保田村の上山英一郎という人によって蚤取粉が製造され始め、それにより次第に普及され、ついには海外に輸出されるようになった。

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「糊(のり)」の始まり

「糊(のり)」の始まり...

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「暖簾(のれん)」の始まり

「暖簾(のれん)」の始まり 暖簾が初めて見られるのは、文治年間(1185~1190)に土佐光長が描いた『年中行事絵巻』にあるので、鎌倉時代に暖簾が使われていたことが判る。...

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「パーマネント」の始まり

「パーマネント」の始まり ここで言うパーマネントとは、パーマネント・ウエーブのことである。昔から女性の美しさは髪形にあると言われ、クレオパトラは髪に泥を塗って棒に巻き付けて太陽で乾かしウエーブを付けたと言われている。...

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「廃娼(はいしょう)」の始まり

「廃娼(はいしょう)」の始まり 明治22年(1889)12月13日に、群馬県会において廃娼可決を認可し、次いで県下の娼妓をことごとく廃止したのが、日本における廃娼の始まりである。しかし、その結果は一般の家庭における婦女子の風儀が悪くなり、とかくの噂がまかれた。

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「廃刀令(はいとうれい)」の始まり

「廃刀令(はいとうれい)」の始まり 古くから刀は武士の魂とされ、両刀を帯びるが為に農工商の上に位し、永く封建時代における特権を持ち、優越を誇っていた。その命にも等しい刀を野蛮な遺風として取り上げられると言うことは、武士にとっては眞に青天の霹靂というほどの重大な事件であった。...

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「刷毛(はけ)」の始まり

「刷毛(はけ)」の始まり 獣毛を束ねて木製の柄に植え、上端を切り揃えたものを言う。これは毛筆から変化したものらしく、その始まりは明らかではない。...

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「箱提灯(はこじょうちん)」の始まり

「箱提灯(はこじょうちん)」の始まり 安土桃山時代から使われ始めた。すなわち『好古日録』に「俗にいふ箱提灯は豊公(豊臣秀吉)のとき始めて制す。上下を藤葛(ふじかずら)をもって編みたり、板をもちいるは慶長以後のことといふ、天正以前の提灯は籠に紙を粘してもちゆ」とある。そして、江戸時代になってからは多くが吉原の遊郭で使用された。

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「挟箱(はさみばこ)」の始まり

「挟箱(はさみばこ)」の始まり 昔は挟竹(はさみだけ)といって板二枚で衣服を隠し、これを竹に挟んで従僕に担がしたが、極めて不便であったため箱を作り、その上に棒を付けて担ぐようになった。その始まりについて『太閤記』の作者である小瀬甫庵は、豊臣秀吉の小姓組頭小野木縫殿助が始めたものであると言っている。...

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「箸(はし)」の始まり

「箸(はし)」の始まり 遠く原始時代の人は指で物を摘んで食したと考えられている。箸を使うようになったのは頗る古く、支那では『禮記』に「黍(きび)を飯するには箸をもってする事なかれ」とある。また『史記』の宋微子世家には「殷(いん)の紂(ちゅう)王が象牙の箸をこしらえたのを太子の箕子(きし)が見て、あれも象牙の箸を使うようでは今に玉の杯を作りかねない」と皮肉った話が出ている。...

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「旗(はた)」の始まり

「旗(はた)」の始まり 日本では古くから旗幟と言う物が用いられていた。『日本書紀』の神代上巻に「伊弉冉尊の火神を生みますとき、灼かれて神退去りまして、紀伊國熊野之有馬村に葬る。土俗この神の魂を祭るに、花あるときはまた花をもつて祭り、また鼓(つづみ)、吹(ふえ)、旗幟(はた)をもちひて歌ひ舞ひて祭る」とあるのが、文献に見られる始まりである。

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「果し状(はたしじょう)」の始まり

「果し状(はたしじょう)」の始まり...

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「旗本(はたもと)」の始まり

「旗本(はたもと)」の始まり  室町時代の末期、すなわち群雄割拠の頃に、所在の大名が隣国と戦うことがあれば、その近傍の小名は、これに味方して旗の下に馳せ参じ、軍に加わったことから始まった。  江戸時代に入って、旗下八万騎と称せられ、徳川氏が所領する土地を賜った万石以下の直属の武士は、常に江戸に住んで大名に対して旗本と言い、大きな勢威を持っていたものである。

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「旗本奴(はたもとやっこ)」の始まり

「旗本奴(はたもとやっこ)」の始まり...

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「八の日定休(はちのひていきゅう)」の始まり

「八の日定休(はちのひていきゅう)」の始まり 昭和7年(1932)10月より、初めて百貨店が毎月八の日を定休日とすることとし、月に3日休業するようになった。しかし、八の日は百貨店がかき入れ時とも言うべき日曜日とか土曜日に当たることが多かったため、ついに昭和14年(1939)8月より定休日を比較的閑散名月曜日に変更することになった。

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