「櫛巻(くしまき)」の始まり
「櫛巻(くしまき)」の始まり 江戸時代の宝暦年間(1751~1764)に、女性が髪を櫛巻にすることが流行し始めた。すなわち『武野俗談』に「宝暦中、浅草寺お福茶屋に、みなとやお六とて名だいの女ありて、髪を上手に櫛をさかしまに巻こみて結びけり、是を櫛巻とて世上の女中ゆう事となれり」とある。櫛巻画像の出典:Ukiyo-e Search
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「管簾(くだすだれ)」の始まり 夏は見るさえ涼しく感じる管簾は、江戸時代中期頃から街に出始めた。『武江年表』の正徳5年(1715)のところに「管簾は古来ありしかど売り物とする初めは、正徳の頃、築地小笠原家の道具持ち沖仲右衛門というもの作り出し、両国橋東岸山本善兵衛の見世にて売り始めしよし世事談綺にいえり」とある。
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「履(くつ:はきもの)」の始まり 沓・鞜とも書き、履とは深履、浅履、舄、靴、鞋、雁鼻、鼻切、鼻高、指懸、平沓、唐沓、毛履、屐子、足駄、草履、雪踏などの総名であり、文献には『日本書紀』の神代巻に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が「又投二其履一、是謂二千敷神一(またその履を投げる、これ千敷の神と謂う)」とあるのが始まりである。
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「沓足袋(くつたび)」の始まり 朝鮮沓ともいう。これは江戸時代の天保5年(1834)に、有名な俳優・第七代市川団十郎が京阪から九州まで旅行した時に、長崎に於いて沓足袋を見つけ、物好きな人だったのでこれを持ち帰り、江戸葺屋町河岸の佃屋という足袋屋に作らせたのが始まりである。 次いで、安政年間よりコハゼ沓足袋が盛んに流行するようになった。
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「雲助(くもすけ)」の始まり 江戸時代に、東海道の小田原・箱根・三島あたりを中心に出没徘徊して往還の人々の日雇いとなって駄賃を稼ぎ、それで生活していた独身の無頼漢のことを言う。...
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「鞍(くら)」の始まり 馬や牛などの背において、人が乗ったり荷物を背負わしたりするために用いる道具である。これは『古事記』の中に「日子遲神(ひこちがみ)、出雲國よりのぼり、倭國(やまとのくに)にまさんとて、よそひたてるとき片御手には御馬の鞍にかけ、片御足はその御鐙(あぶみ)にふみいれて」とあるのが文献に見られる始まりである。鞍を付けた馬型埴輪 6世紀後半神戸市立博物館蔵
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「クリーニング」の始まり 越後國中頸城郡新花村の五十嵐健治という人が、東京に出て西洋洗濯を生業とするかたわら、色々と苦心して研究した結果、ついにクリーニング(cleaning)を考案し、明治40年(1907)8月に白洋舎という店を品川に創設したのが始まりである。 このクリーニングとはドライ・クリーニングのことである。
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「クロール・ストロール」の始まり 普通は単にクロールと呼んでいる外国の水泳法の一種である。これは日本で行われている早抜き手に似て、身体を水面に平らに浮かべ、顔を少し水に入れて両肘を交互に前に出し、足は真っ直ぐに伸ばして膝から下を上下に連続的に動かして進む競泳法である。...
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「黒の喪章(くろのもしょう)」の始まり 明治2年(1869)版の『西洋見聞録』に「黒服を用い、黒色の帛片をもって帽子の周囲を巻き、また書翰袋の周辺を黒くする等をもって喪人たるを示す」と、西洋の喪章のことが記載してあるのが初見で、日本においてもこの外国の制にならい、明治13・14年頃より行われ始めたものである。
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「黒文字油(くろもじあぶら)」の始まり クロモジの木の葉や樹皮を蒸留して製造した暗黄色の芳香ある油で、化粧品や石鹸の香料に用いた。 これは明治21年(1888)に、和歌山県の鎌田常義が伊豆に行って黒文字油の製造を奨めたのが始まりで、一時は盛んに用いられた。
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