「車長持(くるまながもち)」の始まり
長櫃(ながびつ)に車輪を付けて不慮の災いに備えたものをいい、安土桃山時代に始まった。『麓の花』に「天正より以来、明暦のころまで都鄙(とひ:都会と地方)ともに車長持と云へるものを家々に備へ、非常の具になしたり」とある。また、『むさしあぶみ』には明暦3年(1657)正月の江戸における振袖火事の混乱した様子を記載し「数萬の貴賤このよしみをみて退くよしとて、車長持を引きつれて、浅草をさしてゆくもの、いく千百とも数しらず、人のなく声、車の軸音、焼け崩るる音に打ちそへて、さながら百千のいかづちの鳴りおつるも、かくやと覚へておびただしともいふばかりなし、かかる火急のなかにも盗人はありけり、引きすてたる車長持を取って方々へにげゆくこと」とあり、この車長持が道路をふさぎ、そのために多くの死傷者が出たため、都市では間もなくこれを禁止したということである。
車長持
府中家具木工資料館蔵