「禁酒(きんしゅ)」の始まり
日本でも古くから酒を禁じたことがある。すなわち、飛鳥時代の大化2年(646)3月に「諸国の百姓は農月(のうげつ:立夏以後農業が忙しい月)に酒を飲み肉を食うを禁ず」とあり、また奈良時代の天平宝字2年(758)2月にも酒を禁じており、これを犯すと五位以上は一年の封録を停め、六位以下は見任を解かれ、それ以下は杖八十に処せられた。天平9年(773)5月には旱疫(かんやく:干ばつによる疫病)のために酒を禁じ、平安時代の大同元年(806)九月には水旱(すいかん:洪水と干ばつによる災害)のために米の価格が騰踊(とうよう:物価が甚だしく上がること)するため、左京・右京および山崎津・難波津の酒家の甕(かめ)を封じさせ、さらに鎌倉時代の建長4年(1252)10月には征夷大将軍宗尊親王が大旱(大きな干ばつ)のために酒を禁じ、鎌倉平家の酒壷37,174個を毀(こわ)し、かつ家に1壷を留めて、それ以外の酒壷を用いて酒を醸造する者は罪科に処せられたなど、禁酒の歴史は古い。