『家康の時計渡来記』の出版
『家康の時計渡来記』の出版 2011年5月29日に当ブログで紹介した『家康の時計渡来記』が3月10日に羽衣出版から発売されました。 現在、久能山東照宮博物館に所蔵されている家康所用の洋時計(重要文化財)の製作者と時計の伝来をまとめたものです。 内容構成は 序章 第一章 時計師ハンス・デ・エバロ 第二章 ドン・ロドリゴの海難事故 第三章 答礼大使セバスティアン・ビスカイノ 第四章...
View Article「木筆(もくひつ)」の始まり
「木筆(もくひつ)」の始まり 木を篦(へら)状に削り、その先を簓(ささら)のようにしたもので、奈良時代から使われており、主として梵字(ぼんじ)を書くのに用いられていた。 また、漢字を書くのに用いたことは、東寺所蔵の有名な「真言七祖像」の上に弘法大師が書いた飛白体(ひはくたい)の梵漢名があるのでも知られている。
View Article「目録(もくろく)」の始まり
「目録(もくろく)」の始まり 平安時代から現品の進物を贈る代わりに、その品物の名前を記載した書付(かきつけ)を贈ったが、これを「目録」という。...
View Article「物の国勢調査(もののこくせいちょうさ)」の始まり
「物の国勢調査(もののこくせいちょうさ)」の始まり 昭和14年(1939)8月1日に、世界で最初の物の国勢調査が日本で行われた。これは国民の衣食住に必要な品物が一年間にどのくらい必要であるかを、物品販売業者の売上高および接客業者の仕入高によって見極めるために行われたものである。
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「喪服(もふく)」の始まり 平安時代の名僧行尊が「わが立つ杣(そま)は黒染の袖」と詠じたように、当時の僧侶はもっぱら黒の衣をまとったので、緇徒(しと:緇は黒染めの衣のこと)とも呼ばれた。 奈良時代の大宝元年(701)8月に定められた僧尼令のなかに「僧尼がたやすく俗衣を着けたならば百日の苦使にせよ」と規定し、俗人の白服と厳重な差別が付けられた。ただし、神官等は庶民であったために白衣を着ていた。...
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「門(もん)」の始まり 家の外側に設けた出入口のことである。『古事記』の中で素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するくだりに「八塩折(やしおおり)の酒を釀(か)み、また垣を作り廻し、その垣に八つの門(かど)を作り、門毎に八の仮床(さずき)を結び」とあるのが文献に見られる始まりである。...
View Article「門の扁額(もんのへんがく)」の始まり
「門の扁額(もんのへんがく)」の始まり 由緒のある寺院や邸宅の門に、筆跡も見事な額が掲げてあるのを見ると、誠に奥ゆかしく風雅なものである。この扁額の風習は平安時代には既に伝えられたと思われ、嵯峨天皇の弘仁9年(818)4月27日に殿閣諸門の号を改めて扁額を懸けさせられたのが始まりであると言われている。
View Article「紋日(もんび)」の始まり
「紋日(もんび)」の始まり 「物日(ものび)」が転訛した言葉で、何か物ある日という意味。江戸時代に花柳界で生じた言葉である。すなわち、正月初めの数日、初午、五節句、彼岸、盂蘭盆(うらぼん)、煤払い、餅つき、その他の祝い日と称して、馴染みの客を呼び寄せたものであり、その日には主人から貰った紋の付いた衣服を着たので「紋日」と言うようになったらしい。
View Article「夜会(やかい)」の始まり
「夜会(やかい)」の始まり 夜間に催される宴遊会のことである。封建時代には夜会など思いも寄らないことで、江戸時代末期の万延元年(1860)正月に、アメリカに赴いた江戸幕府の使節・新見豊前守正興らが、ハワイで夜会に招待された時に「夜陰に出行せざる国風なれば」と断り、晩餐会の招待を受けても「御条約外の国と言ひ、殊に合衆国へ使節の大任すまざる中は遊興どころでは御座らぬ」と固く断っているのが面白い。...
View Article「夜間照明装置(やかんしょうめいそうち)」の始まり
「夜間照明装置(やかんしょうめいそうち)」の始まり 大正8年(1919)2月に、工学博士・上田輝雄が戸塚球場に夜間照明装置の施設を完成した。これが日本における始まりである。 次いで、浅草観音堂の大改修にあたり、内部照明の電化を行ったが、これは日本で最初の社寺電気照明である。
View Article「野菜初物禁止(やさいはつものきんし)」の始まり
「野菜初物禁止(やさいはつものきんし)」の始まり 江戸時代後期の天保13年(1842)4月8日に、幕府は野菜の初物の売買を禁じてキュウリ、ナス、インゲン豆、ささげ類、その外に「もやしもの」と言って雨障子を掛けたり、室内で炭団(たどん)火を用いて栽培し、季節以外にこれらを売り始めることは贅沢な誘因となるため、高価で市場で売り出すことがないように命じた。...
View Article「屋台店(やたいみせ)」の始まり
「屋台店(やたいみせ)」の始まり 天変地異の後には自然に必要なことから色々なことが創案される。たとえば、江戸時代の元禄13年(1700)に起こった地震と火事の後には焼け跡に初めて田楽売りが現れ、またその翌年の飢饉の時には江戸の端々に煮売り小店ができて、初めて往来で食べ物を売るようになった。...
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