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Channel: 原始人の見聞
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「果し状(はたしじょう)」の始まり

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「果し状(はたしじょう)」の始まり
 何よりも名誉を重んじた封建時代において、武士が他人から忍び難き恥辱を受けた時に、その相手に果し状なるものを書き送って、日時と場所を定めて、お互いに命をかけた真剣勝負を行った。
江戸時代初期から、武士の間でしばしば行われ、それについて面白い話がある。それは備前國岡山藩主池田忠雄の家臣であった村山越中が、ある事情から果し状を同藩の田中兵助に送った。その日になって田中は村山を自宅に招いて永い時間待たせておき、さて、出てきて言うには
田中「死後に差し支えないように、家を始末した。貴様も始末してきたか」
村山「いや、早く勝負しろ」
田中「あわてずともよい、立ち戻って家の始末をしてこい」
村山「あまり待たせたので、俺は腹が減った。飯を食わせい」
田中「なに、飯を出せ? 馬鹿なことを言うな。敵に飯が喰わせられるか。さっさと自宅に戻り喰ってこい」
 と、こんなにのんびりとした問答をしているうちに、いつの間にか肝心の果たし合いの方はお流れになってしまった。
 この気の短かった村山は、後に藩主池田忠雄により御意打ちになったという。

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