「演出(えんしゅつ)」の始まり
「演出(えんしゅつ)」の始まり 演劇は色々な芸術部門が総合されて成り立っているので、舞台に統一のある表現を与えるためには、これをまとめ上げる人が必要であって、それを演出という。...
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「本草学(ほんぞうがく)」の始まり 支那で起こった一種の薬物学で、日本に伝来してからは自然科学としての博物学となって大いに発達した。その起こりは古く、孝謙天皇の天平勝宝6年(754)1月に来日して帰化した唐僧・鑑真は深く本草に精通し、盲目ではあったが、鼻ではっきりと薬草と毒草を判別したという。...
View Article「遠州流(えんしゅうりゅう)」の始まり
「遠州流(えんしゅうりゅう)」の始まり 江戸時代初期に、近江国小室藩主小堀遠江守政一(宗甫)が古田織部について茶道を学び、その奥を極めて一家を成したのが始まりである。その門下には三代将軍家光をはじめ、沢庵和尚、狩野探幽、松平正信など多い。...
View Article「艶書合わせ(えんしょあわせ)」の始まり
「艶書合わせ(えんしょあわせ)」の始まり 懸想文合わせともいい、これは男女が集まって左右に分かれ、恋歌を贈答して優劣を競う遊戯のことを言う。 その起源は明確でないが、堀河天皇の康和4年(1102)閏5月2日に行われた艶書合わせが最も有名である。
View Article「延年の舞(えんねんのまい)」の始まり
「延年の舞(えんねんのまい)」の始まり 大衆舞または自延年ともいう。初めは寺院での遊宴の席上で、僧侶・稚児などの舞に堪能な者が行ったのが始まりである。 『吾妻鏡』の中には文治3年(1187)に源頼朝が信濃の白拍子を召して延年舞を見物したとある。また、『古今著聞集』によれば、建長4年(1252)の維摩会の延年舞に春日社神人李綱が努めたのを最後とし、それ以後は大衆が努めるようになったと書かれている。...
View Article「園遊会(えんゆうかい)」の始まり
「園遊会(えんゆうかい)」の始まり 明治16年(1883)4月16日に、改進党総理・大隈重信の早稲田邸において、改進党の一周年を記念して、党員らを招いて「遊園会」を開いた。これが後の「園遊会」の始まりである。 大隈重信画像の出典:ブログ・行政書士徒然日記
View Article「追分節(おいわけぶし)」の始まり
「追分節(おいわけぶし)」の始まり 長野県北佐久郡西長倉村字追分(現:軽井沢町追分)は、北国街道(善光寺路)と中山道(木曽路)との分岐点に当たるので追分の名がある。追分節はこの宿場に発生した里謡で「小室節(こむろぶし)」ともいい、もともとは馬子唄であった。...
View Article「扇合(おうぎあわせ)」の始まり
「扇合(おうぎあわせ)」の始まり 平安時代に上流階級で行われた雅遊の一つで、多くの公卿や女房が二組に分かれて、お互いに美しい絵などを描いた扇を出し、それを合わせて優劣を競ったものである。 有名なものは、天禄4年(973)7月7日の圓融院扇合、寛治3年(1089)8月23日の四條宮(後冷泉院の后・寛子)扇合、保延元年(1135)5月17日の女院(待賢門院璋子)扇合である。...
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「扇引(おうぎひき)」の始まり 平安時代後期頃に行われた上流社会の遊戯の一つで、扇を福引きのように引き当てて遊ぶものをいう。 『讃岐典侍日記』の天仁元年(1108)6月のくだりに「扇引きなど人々にせさせむなどありし」と記載されており、その頃盛んに行われていたことが判る。
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「ミキサー」の始まり 1939年(昭和14)に『若く見え長生きするには』という本を著したアメリカのゲイロード・ハウザー博士は、その本の中で「よい食べ物、強い敏感な身体、冒険好きな精神、要するにあなたの若さは栄養次第」と言い、それには新鮮な野菜汁、酵母胚芽、粗糖、ヨーグルト、レバーなどをたっぷり取るように強調し、その野菜汁を作るためにミキサーなる道具を発明した。...
View Article「大阪にわか(おおさかにわか)」の始まり
「大阪にわか(おおさかにわか)」の始まり 明治時代の劇壇における新派劇の俳優・川上音二郎が、初め大阪の落語家・桂文之助の門に入って、明治21年(1888)から浮世亭○○(まるまる)と名乗って寄席の高座にあらわれ、あるいは俄師(にわかし)の群れに投じて時勢を諷した新作俄を演じて、ある一部の客に歓迎されていた。これが喜劇と称する今日の大阪にわか(散髪物:ざんぱつもの)の始まりである。
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