$ 0 0 「大阪にわか(おおさかにわか)」の始まり 明治時代の劇壇における新派劇の俳優・川上音二郎が、初め大阪の落語家・桂文之助の門に入って、明治21年(1888)から浮世亭○○(まるまる)と名乗って寄席の高座にあらわれ、あるいは俄師(にわかし)の群れに投じて時勢を諷した新作俄を演じて、ある一部の客に歓迎されていた。これが喜劇と称する今日の大阪にわか(散髪物:ざんぱつもの)の始まりである。