「麻酔薬(ますいやく)」の話
江戸時代末期の名医として聞こえた華岡青洲は、豪胆な手術を創始して華岡流外科の名を海外にとどろかし、日本における外科学界に一大革命をもたらした人であるが、かれは麻酔剤として曼荼羅華(まんだらげ:チョウセンアサガオ)の煎剤を考え出し、鎖肛(さこう:生まれつき肛門や直腸が閉鎖している状態)、鎖陰(さいん:処女膜・膣・子宮頸管が閉鎖している状態)、尿道結石、乳癌、脱疽(だっそ:壊疽)、兎唇など、それまで殆ど不治とされていた難病の手術を行い、これに成功したと言われている。その麻酔剤は「麻沸湯」と称して曼荼羅華八分、草烏頭(そううづ:ヤマトリカブト)二分、鎧草二分、當帰(とうき:ウマゼリ)二分、川芎(せんきゅう:オンナカズラ)二分を細かくして熱湯に投じ、まぜかえして滓を除き、これを温服させると1~2時間で意識が不明になるので、その間に手術を行い、これが終わってから煎茶に塩を混ぜて呑ませ、次いで人参調栄湯を与えた。
しかし、西洋の麻酔剤の使用は、蘭方医・伊東玄朴が文久元年(1861)6月3日に、吉原名代の幇間楼川善孝の息子・由次郎が脱疽に罹った時、日本において初めてクロロホルムを応用して、右脚を切断したのが始まりである。
華岡青洲画像
画像の出典:豊前中津大江医家史料館