「仁丹(じんたん)」の始まり
「仁丹(じんたん)」の始まり 明治37年(1904)3月に、大阪市東区玉堀町の森下薬店から売り出された「仁丹」は、すがすがしい香りと味が広く歓迎され、また独特の薬効で消化を助け、胃腸を整え、疲れの回復と健康の増進に良いというので、たちまち全国に普及した。
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「診断書(しんだんしょ)」の始まり 医師が病人や健康者を診断して、その結果を証明するために作る文書であるが、日本では江戸時代末期の安政4年(1857)2月に、蘭方医として有名な青木周弼(あおきしゅうひつ)が『察病亀鑑』を著して診断書を備えるようになったのが始まりである。
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「みたらし団子(だんご)」の始まり 平安時代から京都下鴨神社の名物で、昔から純白米の粉で作った白い団子を神前に供え、ご祈祷を受けてから家に持ち帰り、それに醤油を付けて火に炙り、これを食べると厄除けになると言われている。みたらし団子画像の出典:ウィキペディア
View Article「新薬の製造(しんやくのせいぞう)」の始まり
「新薬の製造(しんやくのせいぞう)」の始まり 江戸時代末期の蘭方医・伊東玄朴は文久元年(1861)5月8日に、新薬製造の願書を幕府に提出した。...
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「みつ豆(まめ)」の始まり 江戸時代の末頃から屋台の糝粉細工屋(しんこざいくや)が、お好みに応じて、その場でハサミ一丁で糝粉の舟にエン豆や赤白とりどりの糝粉に蜜をかけて、これを子供相手に売り歩いたのが始まりである。 明治26年(1893)に出版された『稲妻三吉』の中に、両国橋付近の駄菓子屋で子供たちが五厘銭を賭けて「みつ豆」を競っている様子が描かれている。このように最初は高級な食べ物ではなかった。...
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「水痘(すいとう)」の始まり 風痘あるいはミズイモとも言われ、主に10歳以下の小児がかかる急性発疹性の伝染病である。これは38度前後の発熱があり、全身に水様の液を含む赤色の丸い発疹ができ、数日で乾燥結痴する。 日本では平安時代の治承4年(1179)8月にヘナモ(水痘のこと)が流行したのが始まりである。
View Article「睡眠(すいみん)」の話
「睡眠(すいみん)」の話 人の一生のうち三分の一は睡眠に費やされる。睡眠は精神的あるいは肉体的な疲労に際して現れる生理的な現象で、これによって心身の疲れは全て恢復する。 睡眠におちいる前には短い時間の過渡期があって意識がもうろうとなり、最も深い時は眠ってから1時間ぐらい後である。次いで次第に浅い眠りとなり、それから終わりに近づいてまた少し深くなる。...
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「味醂酒(みりんざけ)」の始まり もち米を蒸して麹(こうじ)と焼酎(しょうちゅう)で作り込んだものを「本直(もとなお)」と言い、それを醸(かも:醸造)し切ったのが味醂酎(みりんちゅう)であり、後に味醂酒と書くようになった。...
View Article「ストレプトマイシン菌(きん)」の始まり
「ストレプトマイシン菌(きん)」の始まり 1943年にアメリカのワックスマン博士によって発見されたストレプトマイシン菌は、肺結核の特効薬として名高い。...
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「煉乳(みるく)」の始まり 1856年(安政3)に、アメリカのボーデンという人が始めたもので、これを「ワシ印」と言い、たちまち世界中に広がった。 日本では明治5年(1872)5月に、麻布の開拓第三号試験所において、外人教師が係となって「ワシ印」に習い、これを製造するようになったのが始まりである。イーグル・コンデンスミルク画像の出典:ななや
View Article「砂灸(すなきゅう)」の話
「砂灸(すなきゅう)」の話 灸と言っても普通のものと違い、布の上に砂を盛り、その上にモグサをのせて火を付けるので、痕が残らない。 これは室町時代から行われ、かの有名な武田信玄が常にすえていた「隠し灸」というのが砂灸のことである。...
View Article「整形外科(せいけいげか)」の始まり
「整形外科(せいけいげか)」の始まり 明治17年(1884)ころ、足立寛がヒューテルの『外科各論』を翻訳していた時に、オルトペジー Orthopaedie の文字に「矯正術」と訳したのが、日本におけるオルトペジーの始まりである。...
View Article「精神病医書(せいしんびょういしょ)」の始まり
「精神病医書(せいしんびょういしょ)」の始まり 江戸時代末期に、奥州の人・上田献は江戸に来て医者を生業とし、主に精神病の研究に努め、その実験に基づき文政2年(1819)に『癲癇(てんかん)狂経験篇』を著した。これが日本において精神病に関する専門書の著された始まりである。
View Article「精神病院(せいしんびょういん)」の始まり
「精神病院(せいしんびょういん)」の始まり 江戸日本橋の医師林一徳によって、江戸時代末期の弘化3年(1845)に設けられた小松川の狂病治療所が精神病院の始まりである。次いで、明治9年3月に、治療所を癲狂院(てんきょういん)と称し、さらに明治24年10月には小松川精神病院と改称している。
View Article「精神病学(せいしんびょうがく)」の始まり
「精神病学(せいしんびょうがく)」の始まり 明治9年(1876)2月に、神戸文哉がイギリスの医師ヘンリー・モーズレイの書を翻訳して『精神病約説』を著したのが始まりである。...
View Article「精神分析(せいしんぶんせき)」の始まり
「精神分析(せいしんぶんせき)」の始まり オーストリアの医学者ジーグムンド・フロイドが1884年(明治17)からヒステリーの研究を始め、ついに精神分析の新しい学説を創設するに至った。これは我々の精神活動の内、意識に上らない、すなわち潜在意識の作用が力強く精神の表面上の作用にまでも影響するという原理を明らかにしたものである。...
View Article「製薬免許鑑札(せいやくめんきょかんさつ)」の始まり
「製薬免許鑑札(せいやくめんきょかんさつ)」の始まり 明治9年(1876)5月8日に、初めて製薬免許規則が制定され、司薬場では各種の製薬の検査を行い、その良品を製造したものには内務省より製薬免許の鑑札が交付された。 これは政府が民間の製薬業者を取り締まることから始まり、民間に流布されている薬に一定の標準を定めた始まりである。
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