「無塩醤油(むえんしょうゆ)」の始まり
「無塩醤油(むえんしょうゆ)」の始まり 昭和7年(1932)2月に、東京の理化学研究所より発売されたのが始まりである。これは腎臓病の患者などのために使うものであり、全く塩分を含まない醤油である。無塩醤油画像の出典:日経トレンディネット
View Article「西洋医学所(せいよういがくしょ)」の始まり
「西洋医学所(せいよういがくしょ)」の始まり 江戸時代末期の安政4年(1857)8月に、江戸の蘭方医・伊東玄朴、坪井信良らによって建てられた神田お玉が池の私立種痘所が始まりである。次いで、万延元年(1860)10月には、これを官に納めて大槻俊斎が所長となり、さらに文久元年(1861)9月には西洋医学所と改称して、教授・解剖・種痘の三科に分け、西洋医方を講習する所とされた。これが東京医科大学の始まりである。
View Article「西洋医術(せいよういじゅつ)」の始まり
「西洋医術(せいよういじゅつ)」の始まり 室町時代の天文23年(1554)頃、ポルトガル人のルイ・アルメイダが豊後国に来て、私財を出して救済院を設立し、外科の施療にしたがい、ついで幼児や窮民の治療、さらにライ病患者の診察を行ったのが、日本に西洋医術が伝わった始まりという。
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「麦湯(むぎゆ)」の話 江戸時代末期頃から江戸の街々で横行燈(よこあんどん)に「むぎゆ」と仮名文字で書き、店先に涼台を並べて、紅粉を粧った美しい少女が愛嬌良くお客に麦茶を汲んで給仕するようになった。...
View Article「西洋衛生学(せいようえいせいがく)」の始まり
「西洋衛生学(せいようえいせいがく)」の始まり 日本に西洋衛生学が紹介されたのは、江戸時代末期の元治元年(1864)に松本良順・山内豊城の共著による『養生法』が始まりである。 この本には、住所家屋・衣服寝具・飲食浴湯・睡眠・運動操作などに分けて衛生の方則が詳しく述べてある。...
View Article「麦落雁(むぎらくがん)」の始まり
「麦落雁(むぎらくがん)」の始まり 江戸時代末期の文政元年(1818)3月に、上野館林の大越与兵衛という人が、苦心の研究の結果、ようやく大麦を粉にした精巧な菓子を作り始め、次第のこれを改良して、ついに気品の高い風雅な銘菓を作るに至った。 落雁画像の出典:三枡家本舗
View Article「西洋眼科(せいようがんか)」の始まり
「西洋眼科(せいようがんか)」の始まり 室町時代から眼科を専門に、代々業を継いできた安芸国の土生(はぶ)玄碩は、文化5年(1808)3月に江戸に出て、精妙な治療で大いに名声を上げ、文化7年7月には幕府の侍医になった。...
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「西洋眼科書(せいようがんかしょ)」の始まり 江戸時代末期の文化12年(1815)3月に、蘭方医の杉田立卿がオーストリアのブレンキが著した眼科書を翻訳し、これに『眼科新書』(5巻)と名付けて刊行した。これが西洋眼科の我が国の医学界に紹介された始まりである。そして、眼科諸症の訳語はこの時に選定されたものが多い。...
View Article「西洋外科書(せいようげかしょ)の始まり
「西洋外科書(せいようげかしょ)の始まり 江戸時代の元禄年間に楢林鎮山がパーレの『外科医書』を手に入れたのは有名な話であるが、寛政4年(1792)の春に大槻盤水が『瘍医新書』(五十巻)を翻訳して、ようやく西洋外科の研究の基礎を作ることができた。 次いで、天保2年(1831)6月には杉田立卿がドイツ人フレンキの著した『外科書』を翻訳して出版している。
View Article「蒸し寿司(むしずし)」の話
「蒸し寿司(むしずし)」の話 蒸し寿司は大阪が本場で、江戸時代から今日に至るまで、伝統を伝えている。この純大阪式は生魚を使わず持ちの良い事を特徴としている。師走から3月にかけてが旬であり、「蒸し寿司相始め申しそうろう」と軒並みに蒸籠(せいろ)を連ねてシュッポシュッポと暖かい湯気を立てて客を呼んだ。...
View Article「西洋産科(せいようさんか)」の始まり
「西洋産科(せいようさんか)」の始まり 日本に西洋産科が紹介されたのは、江戸時代末期に蘭方医の青地林宗がドレスデンの産科教授カール・クスターフ・カールスの書を翻訳して『詞倫産科書』と名付けたのが始まりである。 これは生殖器の内景、診察法、妊娠の徴候、妊娠中の疾病、自然出産などのことを略述している。
View Article「西洋侍医(せいようじい)」の始まり
「西洋侍医(せいようじい)」の始まり 明治元年(1867)7月に、オランダ留学から帰国した緒方惟準(おがたいじゅん)が宮内省出仕の拝診を命ぜられたのが、洋方侍医の始まりである。
View Article「目刺(めざし)」の話
「目刺(めざし)」の話 魚の目に竹串や藁を通して干物にするので「めざし」の名が付いた。これは最も原始的で合理的な貯蔵法である。 日本では奈良時代から既に行われており、今日でも盛んに歓迎されている。特に食欲の進まない夏には美味しく、安くて経済的にも栄養的にも良い。 目刺画像の出典:ウィキペディア
View Article「メチルアルコール」の始まり
「メチルアルコール」の始まり 昭和20年(1945)8月の終戦直後から、清酒の欠乏に乗じて、酒の代用品としてメチルアルコールを販売する不正な商人が現れた。そのため、沢山の人命が失われたり、失明者が出た。 このいわゆる殺人アルコールは、木材を乾溜して酢酸とともに作られる。これは明治26年(1893)10月より、日本でも作られるようになったものである。 メチルアルコール画像の出典:めでいっく
View Article「西洋小児科(せいようしょうにか)」の始まり
「西洋小児科(せいようしょうにか)」の始まり 日本に西洋小児科が伝えられたのは、江戸時代末期の文政12年(1829)に宇田川榛齋がローゼン・ハン・ローゼンシュタインの小児科書を翻訳して『小児諸病鑒法治法全書』と名付けて著したのが始まりで、次いで天保14年(1843)には堀内素堂がフヘランドの書を翻訳して『幼幼精義』と名付けて刊行したのが、西洋小児科書の出版の始まりである。
View Article「西洋植物学(せいようしょくぶつがく)」の始まり
「西洋植物学(せいようしょくぶつがく)」の始まり 日本に西洋植物学が伝えられたのは江戸時代中期の元禄3年(1690)に、オランダ公使に随行して来日したドイツ人のケムフェルが初めであり、次いで安永5年(1776)にスウェーデン人のトゥムベリーが長崎に来て、2年間滞在し、日本の植物を研究している。...
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