「福和内(ふくわうち)」の由来
「福和内(ふくわうち)」の由来 江戸時代末期、黒船騒動の真最中であった安政元年(1854)に、越前国敦賀の和助という青年が江戸の来て、菓子の製造法を学び「豆落雁(まめらくがん)」を作ったが、その名称に困り、知人に相談して付けたのが「福和内」であった。これが縁起を担ぐ吉原遊郭で大いに歓迎され、たちまちの内に評判となった。...
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「金創医(きんそうい)」の始まり 室町時代末期の、いわゆる戦国期に、戦う毎に刃物による傷を受ける者が多く、その治療法を専門に攻究する者が現れ、次第に広まって金創医という一派が生じた。これは外科の一派に属するが、産術も兼ねて行い、普通の外科とははっきりと区別されていた。...
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「普茶料理(ふちゃりょうり)」の始まり 江戸時代前期の承応3年(1654)7月に、支那から来日した名僧隠元禅師が、いわゆる隠元豆などと共に伝来した精進料理の一種である。主として黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で行われるため、別名を黄檗料理とも呼ばれている。 普茶は、昔は赴茶とも書いたが、これは客僧らが柝(ひょうしぎ)の音を聞いて茶の馳走に赴いたことから起こっている。...
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「錦袋圓(きんたいえん)」の始まり 江戸時代初期の承応2年(1653)に出羽国北尾勝郡八幡村の了翁僧都(りょうおうそうず)が、肥前興福寺の開山如定禅師の夢のお告げにより「汝の病弱なるを憐(あわれ)んで薬を授けん」と言って霊妙なる処方を授かった時、錦の袋に入れて賜ったので、「錦袋圓(きんたいえん)」と名付けられたものと伝えられている。...
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「嚔(くしゃみ)」の話 文章語では「くさめ」と言う。これには色々と興味深い伝説がある。 西洋では、ユダヤのラビ教徒はヤコブ以前には、人間は生涯に一度しか嚔をしない。した時はもう死が来ているのだと考えられていた。彼らは教祖だけが自然の病で死んだが、他の人たちはみな嚔のために死んだのだと信じられていた。カソリック教の一部でも、嚔は病気の前兆であるとして嫌われていた。...
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「葡萄(ぶどう)」の始まり 原産地はアジアのユーフラテス川とカスピ海の間にあるアルメニアからメソポタミアあたりであろうというのが定説である。...
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「薬(くすり)」の起源 古代には草根木皮(そうこんもくひ)から採薬を行い、しかも最初は世界各地とも苦い薬から始まったという。ギリシャの医聖ヒポクラテスや支那の三皇五帝のうち神農は、ともに初めて医薬を民に教えたと伝えられている。...
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「薬湯(くすりゆ)」の話 洗浴して発汗する方法は、日本では平安時代から行われており、『栄花物語』の玉村菊之巻に「大将殿日頃御心地なやましくおぼさる。御風などにやとて御ゆゆでさせ給ふ」とあり、この「御ゆゆで」というのは浴法のことである。...
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「管鍼(くだばり)」の始まり 鍼術に用いる器具のことで、江戸時代前期の寛永年間に、伊勢の盲人・杉山和一が相模国江ノ島の弁財天に詣でて巖洞に端座し、断食して祈祷すること37日間、ついに満願の夜に霊夢を感じ、管鍼を作ったのが始まりとされている。
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「葡萄酒(ぶどうしゅ)」の始まり 西洋のワインはギリシャのバッカスの神が、初めて葡萄酒の製法を教えたと伝えられ、実に5,000年前の古(いにしえ)から発達し、色々な儀式に用いられていた。それがアジアの西部地方からインド、チベットを経て支那に伝えられ、唐の太宗の時代には支那全土に広がったという。...
View Article「熊の胆(くまのい)」の話
「熊の胆(くまのい)」の話 あたかも起死回生の妙薬として、万病に効くと言われている熊の胆も、江戸時代中期頃までは軽視されており、きわめて稀にしか用いられなかった。しかし、後藤艮山(ごとうこんざん)の主張によって、その効能が明らかにされ、それから急に朝鮮人参と並んで貴重な霊薬に昇格した。...
View Article「クロロマイセチン」の始まり
「クロロマイセチン」の始まり これは「クロラムフェニコール」の商標名である。イギリスのエール大学のバーク・ホルダー教授が、土壌の中の放射線状菌の一種から発見したもので、ノミやシラミなどの体内にいる病原体クリッケチアによるツツガ虫病とか発疹チフスに特効があって、特に腸チフスや赤痢に対しては効果があると言われている。日本では昭和26年(1951)8月1日から健康保険の取り扱いになったのが始まりである。
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「軍医学(ぐんいがく)」の始まり 1806年(文化3)に、イギリスのエジンバラ大学に軍陣外科の講座が設けられたのが始まりである。 日本では明治維新の戦乱に際して軍事病院を建て、イギリスのウイリスが軍隊医官となって従事したの始まりで、次いで明治4年(1871)7月には兵部省に軍医寮を設置し、松本順、林紀、石黒忠悳、石川良信らに事務を担当させ、初めて軍隊衛生の制度が整ったのである。
View Article「フランス菓子(かし)」の始まり
「フランス菓子(かし)」の始まり 明治20年(1887)11月にフランスに赴いた東京銀座風月堂の二代目・米津恒次郎がパリで菓子の研究に努め、明治29年6月に帰国した時にビスケット製造器などを持ち帰り、これを設備して本格的な製造を始め、サブレー、デセール、ワッフル、アップルパイなどを次々に世に出し、フランス菓子を主体とする洋菓子を普及したのが始まりである。...
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「軍医学書(ぐんいがくしょ)」の始まり 江戸時代中期に水戸藩の侍医であった原南陽が著した『砦艸(とりでぐさ)』は、軍陣衛生、飲食、野営、毒煙、飲水などに関する諸注意および救急法を詳しく述べたもので、これが日本における軍陣医書の始まりである。
View Article「警察医(けいさつい)」の始まり
「警察医(けいさつい)」の始まり 警察医の業務は死体検案書を書くことと、留置人の健康診断や診察をすることの二つがある。 明治19年(1886)6月に、警視庁の中に警察医長・副医長・警察医を置くようになったのが始まりである。
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