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Channel: 原始人の見聞
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「葡萄(ぶどう)」の始まり

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「葡萄(ぶどう)」の始まり
 原産地はアジアのユーフラテス川とカスピ海の間にあるアルメニアからメソポタミアあたりであろうというのが定説である。
 日本では『古事記』に、伊邪那岐命が泉津醜女(よもつしこめ)に追われるくだりに「爾(かれ)、伊邪那岐命、黒御髪を取りて投げ棄て給いしかば、すなわち蒲萄(えびかつら)の子生(みな)りき、これを拾い食()うむあいだに逃げ出でますを、なお追いしかば、またその右の御角鬘(みすみかずら)に挿()せる湯津津間櫛を引きさきて投げ棄て給えば、すなわち笋生(たかむなな)りき」とあり、この「蒲萄(えびかつら)」が葡萄のことだと言われている。
 甲州葡萄は後鳥羽天皇の文治2年(1186)2月27日に、甲斐国東八代郡祝村の雨宮勘解由という人が、石尊宮の参詣に赴いた時、路傍に今まで見たこともない山葡萄を発見し、これを持ち帰って城正寺の庭に植え、その栽培に努め、ようやく5年の歳月を経て、建久元年(1190)5月に、初めて30余房の見事な実を結んだのが始まりで、これが付近に広まり、慶長6年(1601)3月に徳川家康が甲州の検地を行った時の記録によれば、164株に達していたという。勝沼に移植されたのもこの頃だという。
また、接ぎ木や挿し木を試み、棚を作ったりして栽培法に改良を加えたのは、長田徳本という名医の指導によるもので、今日のような名産となった。
 なお、葡萄の種類は、アジアを原産として、そのまま東洋で発達したもの、中央アジアからヨーロッパに入ったもの、ヨーロッパからアメリカに移植されたものの三種に別れている。
 
イメージ 1 
甲州勝沼の葡萄
画像の出典:ウィキペディア

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