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Channel: 原始人の見聞
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「悲田院(ひでんいん)」の始まり

「悲田院(ひでんいん)」の始まり 奈良時代に恵まれない孤児、疾病、孤独、貧窮の者を収容して救済した所のことをいう。聖武天皇の天平2年(730)5月に、光明皇后が施薬院とともに設けたのが始まりである。初めは平城京の左右両京に在ったのが、後の平安京では左京の鴨川の右岸にだけ存在したようである。

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「人一代の祝い事(ひといちだいのいわいごと)」の話

「人一代の祝い事(ひといちだいのいわいごと)」の話...

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「人返(ひとがえし)」の始まり

「人返(ひとがえし)」の始まり...

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「人魂(ひとだま)」の始まり

「人魂(ひとだま)」の始まり 幽霊の兄弟分と言うべき人魂については、古くから色々な説があるが、面白いのは『和漢三才図会』の中に「人魂は頭圓(まる)く扁(ひらた)く、その尾は杓子(しゃくし)のごとくして長く、色は青白く微赤(うすあか)を帯(お)ぶ、徐(おもむ)ろに飛行し地を去ること高さ三四丈、遠近定まらず」とあるが、正体は判らない。...

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「人柱(ひとばしら)」の始まり

「人柱(ひとばしら)」の始まり...

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「人身御供(ひとみごくう)」の始まり

「人身御供(ひとみごくう)」の始まり 災難を祓い、天変地異を除くために生け贄として人の身を神に供えることを言う。 神武天皇が東征に際し、稲飯命(いなひのみこと)が熊野灘で身を海中に投じて龍神に平安を祈られたことや、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国の蝦夷(えみし)を征伐した時に、妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)が自ら海に身を投じて海神の怒りをなだめられたという伝説はあまりにも有名である。...

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「非人溜(ひにんだめ)」の始まり

「非人溜(ひにんだめ)」の始まり 囚人が牢屋敷で病に罹った時、取りあえずこの非人溜に移して加養させ、全治するとまた牢屋敷に戻した。また15歳未満の犯罪者は、成長するまでここに置き、15歳になるのを待って本刑に服役させた。江戸時代前期の貞享4年(1687)に、江戸の浅草と南品川に非人溜を設け、浅草は非人頭の車善七が、南品川は同じく非人頭の松右衛門が管理したのが始まりである。

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「非人寄場(ひにんよせば)」の始まり

「非人寄場(ひにんよせば)」の始まり 江戸時代末期の天保13年(1842)12月7日に、老中水野忠邦の意見により、浅草の非人溜の裏に創設されたものが始まりである。ここには盲人や不具者を除いて市中をうろついている無宿非人と江戸払いに相当する軽犯罪者を収容し、施設内にある手業場で草履や草鞋などを作らせて、彼らに自営自活の方針をとらせていた。

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「火鉢(ひばち)」の始まり

「火鉢(ひばち)」の始まり 古くは火爐(ひばち)とか飯鉢(ひばち)とも書いている。長火鉢、角火鉢、丸火鉢、手提げ火鉢などの種類がある。置炉としての火鉢は奈良時代に始まる。『延喜式』の中に白銅火爐、土火爐などの名が見えており、平安時代には既に金属製の火鉢が用いられていたことが判る。炭を使うことにより煙が出ないため公家や武家で用いられていたが、江戸時代からは庶民階級にも普及した。

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「姫路革(ひめじかわ)」の始まり

「姫路革(ひめじかわ)」の始まり...

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「密事始(ひめはじめ)」の話

「密事始(ひめはじめ)」の話...

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「表札(ひょうさつ)」の始まり

「表札(ひょうさつ)」の始まり 戸主の氏名を戸口や門に揚げる札のことを言う。その起源は明確ではないが山崎美成の『三養雑記』のなかに「莵波集(つくばしゅう)に「門ぶみやあるかひもなくまよふらん」…源義長、「身を捨人にもとの名もなし」…崇世法師、この連歌が、門ぶみとあるは、いまの名札のことなり。かかれば門に表札をいだして、尋ぬる人のしれやすきようにすることも、ふるきならはしと見えたり」と言っている。...

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「拍子木(ひょうしぎ)」の始まり

「拍子木(ひょうしぎ)」の始まり 笏に似たもの2本を相合わせて打ち、それによって音を出し、これに声楽を節して神楽、催馬楽(さいばら:古代歌謡の一つ)、東遊(あずまあそび:雅楽の一つ)などに用いられる。その起源は古く、天の岩戸の神遊に始まったものと言われている。その後、主として芝居の幕間(まくあい)や開幕などの道具として用いられるようになった。

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「屏風(びょうぶ)」の始まり

「屏風(びょうぶ)」の始まり 室内に立てて風を防ぎ、あるいは物を遮るために用いる調度品の一つである。...

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「雛の雌雄鑑別師(ひよこのしゆうかんべつし)」の始まり

「雛の雌雄鑑別師(ひよこのしゆうかんべつし)」の始まり 鶏の雛の雌雄を日本人独特の方法で見分ける人のことである。大正15年(1926)に増井清、橋本重郎、大野勇らによって、鶏の初生雛雌雄鑑別方法が発見されて、養鶏家に大福音をもたらしたのが始まりである。...

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「ビリケン」の始まり

「ビリケン」の始まり...

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「ビルの掛橋(かけはし)」の始まり

「ビルの掛橋(かけはし)」の始まり ビルが建ち並ぶアメリカではこうした設備も多いが、日本では昭和26年(1951)5月に竣工した東京都大手町の大手ビルの7階と隣の海上火災ビルの屋上に、長さ4メートルの鉄製の橋が架けられたのが始まりである。 これはいざ火災となれば、楽に400~500人が屋上に避難できるという仕組みであり、さらに夏にはここで納涼も出来るという一石二鳥のものであった。

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「鬢曽木(びんそぎ)」の始まり

「鬢曽木(びんそぎ)」の始まり 女子が鬢(びん:左右側面の髪)を削ぎ落として大人になる儀式のことであり、室町時代から行われるようになり、公家・武家をはじめ一般に広く行われた風習である。 これは16歳になった女子が6月16日に行うのが通例となっており、鬢を削ぐ役のいわゆる鬢親は女子の許嫁となる夫か、またはその父兄が務めたという。...

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「鬢付油(びんつけあぶら)」の始まり

「鬢付油(びんつけあぶら)」の始まり 江戸時代初期の寛永年間(1624~1644)に、武家に仕えていた奴という者が頬髯(ほおひげ)を生やし、その髯を上に掻き上げて顔を豪侠に見せることが流行し始めた。その時、髯が垂れ下がらないように固めるため、生蝋を植物油と香料を混ぜて練ったものがこの種の油の始まりである。髯奴(ひげやっこ)の中には、付け髯や描き髯の者も居たという。

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「風車(ふうしゃ)」の始まり

「風車(ふうしゃ)」の始まり 今から5,000年くらい前に、インドやペルシャ(現:イラン)で造られており、穀物を磨りつぶす機械として使用されていた。その風車がヨーロッパに輸入され、11世紀の中頃にはドイツで造られていたし、また風車で名高いオランダでは14世紀に大きな風車が造られたのが始まりである。...

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