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Channel: 原始人の見聞
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「番傘(ばんがさ)」の始まり

「番傘(ばんがさ)」の始まり 江戸時代中期に店の名前や番号を書いた傘のことで、その語源について『愚雑爼』に「人に貸し又は奴婢(ぬひ:下男下女)の用にあつる傘の混雑して紛失せんことをうれひ、からかさに番号を書きつけてもちうるを番傘といふ」とあり、それにならって番煙草、番茶というのは間違えであると記載している。...

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「番鍛冶(ばんかじ)」の始まり

「番鍛冶(ばんかじ)」の始まり 鎌倉時代の建久2年(1191)に、後鳥羽天皇は位を土御門天皇に譲られた後、刀剣を作ることを好まれて、備前國則宗、備中國貞次、備前國延房、粟田口國安、備中國恒次、粟田口國友、備前國宗吉、備中國次家、備前國助宗、備前國行國、備前國助成、備前國助延らの刀工を諸国から召集して、十二ヶ月に分け、院内において月番で刀剣を製作するようにしたのが「御番鍛冶」すなわち番鍛冶の始まりである。

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「ハンカチ」の始まり

「ハンカチ」の始まり 明治11・12年(1878~1879)頃から洋式の方形のものが流行し始め、これをハンカチーフと言い、略してハンカチとも言った。 絹や羽二重などの生地に美麗な両面刺繍を施し、あるいは綾織(あやおり)、浮織(うきおり)、縞(しま)など、その種類も次第に多様化した。...

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「半元服(はんげんぷく)」の始まり

「半元服(はんげんぷく)」の始まり...

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「反魂香(はんごんこう)」の始まり

「反魂香(はんごんこう)」の始まり 江戸時代から使われている香の一種で、この香を焚けば死者の姿が煙の中に現れると言われた。その由来は、支那の漢時代に、孝武帝が李夫人の逝去に伴い、この香を燻じて夫人の面影を見たという故事にならって名付けられたものである。...

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「半天(はんてん)」の始まり

「半天(はんてん)」の始まり...

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「番頭(ばんとう)」の始まり

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「火燧(ひうち)」の始まり

「火燧(ひうち)」の始まり...

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「日傘(ひがさ)」の始まり

「日傘(ひがさ)」の始まり...

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「美顔術(びがんじゅつ)」の始まり

「美顔術(びがんじゅつ)」の始まり 支那の有名な孔子は朝起きる時と寝る時には必ず両頬と口の辺りを各12回ずつ指先で軽くなで回し、表情筋のマッサージをしていたという。これはアメリカの映画女優が毎日行っている美容法の秘訣に一致しているという。...

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「美顔水(びがんすい)」の始まり

「美顔水(びがんすい)」の始まり 江戸時代初期の寛永年間に、江戸の芝神明前に在るせむし喜左衛門の店から「花の露」という薬が販売されたが、これは顔の艶を良くし、吹き出物を除く効能があって、広く一般の間で用いられた。これはイバラの花で作った化粧料で、その作り方はイバラの花に湯気を通し、その露に丁子、白檀などを加えたものであるが、これが日本における美顔水の始まりである。

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「引札(ひきふだ)」の始まり

「引札(ひきふだ)」の始まり...

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「引窓(ひきまど)」の始まり

「引窓(ひきまど)」の始まり 引窓は屋根の勾配に沿って作られ、紐を引いて開閉する窓のことである。室町時代末期に出来たものらしく、『遺老物語』に「永禄以来でき初ること、種々のうち、ぬれ縁、突き上げ窓のできはじまりしは天正のはじめ、泉州堺の津に北向道珍といひしわびずき、屋敷狭うして窓を取るべきところなき故に、すき屋の屋ねを切破り、明(あかり)をとりしなり」とある。

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「比丘尼の縁組(びくにのえんぐみ)」の始まり

「比丘尼の縁組(びくにのえんぐみ)」の始まり 比丘尼とは女性の僧侶のことである。鎌倉・室町時代に尼僧姿で諸国を廻った旅芸人を比丘尼と呼び、江戸時代には尼僧姿の下級売春婦も比丘尼と呼ばれた。...

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「鬚(ひげ)」の始まり

「鬚(ひげ)」の始まり 漢字では鬚(したひげ、あごひげ)、髭(うわひげ、くちひげ)、髯(ほおひげ)と区別して使われている。...

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「庇髪(ひさしがみ)の始まり

「庇髪(ひさしがみ)の始まり 前髪と鬢(びん)を特に前方に突き出して結い上げたものをいう。これは明治37年(1904)頃、女優の川上貞奴(かわかみさだやっこ)が西洋風に習って結ったのが始まりである。これが当時の女学生の間で流行し、庇髪と言えば女学生のことを示す言葉になった。...

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「美人写真募集(びじんしゃしんぼしゅう)」の始まり

「美人写真募集(びじんしゃしんぼしゅう)」の始まり 明治41年(1907)2月29日に、『時事新報』が全国から美人の写真を募集し、その審査結果を発表したのが始まりである。その時の当選者は、一等が末弘ひろ子、二等が金田けん子、三等が土屋のぶ子であった。 末弘ひろ子画像の出典:ウィキペディア

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「美声薬(びせいやく)」の始まり

「美声薬(びせいやく)」の始まり...

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「美男子投票(びだんしとうひょう)」の始まり

「美男子投票(びだんしとうひょう)」の始まり 明治43年(1910)10月に東京日々新聞が、美男子の投票を発表したのが始まりである。これはその頃流行していた美人投票から思いつき、さらに脚色された奇想天外な催し物であった。この投票は他人がその人の写真や経歴などを提供して推薦したものである。そして、翌年の正月になって審査の結果が発表され、一等は子爵の前田利彰、二等は保科正昭であった。

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「引敷(ひっしき)」の始まり

「引敷(ひっしき)」の始まり 腰に当てる毛皮で、腰当(こしあて)とも言う。室町時代から用いられたと思われ、『太平記』の南方蜂起のくだりに「畠山入道、その頃つねに狐の皮の腰当をして人に対面しけるを、憎しと見る人のよみたりけん。畠山狐の皮の腰当にばけのほどこそあらはれにけれ」とある。...

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