「比丘尼の縁組(びくにのえんぐみ)」の始まり
比丘尼とは女性の僧侶のことである。鎌倉・室町時代に尼僧姿で諸国を廻った旅芸人を比丘尼と呼び、江戸時代には尼僧姿の下級売春婦も比丘尼と呼ばれた。
明治6年(1873)正月23日に、初めて「比丘尼の蓄髪肉食縁付、帰俗は勝手なるべし」と定められた。すなわち尼僧は髪を伸ばし、肉を食べ、結婚し、帰俗することは自由であるということである。尼僧の蓄髪が許されたと言っても、今日のように断髪くらいで誤魔化せても、当時では島田髷、銀杏返しが多く、髷が結えるまで髪を伸ばすのには相当な時間がかかったであろう。肉食や縁組みについては、老いた尼僧達は末法の世だと驚いたであろうし、また心にもなく周囲の事情でやむを得ず尼になった若い尼僧は再生の喜びを心密かに味わったことであろう。