「庇髪(ひさしがみ)の始まり
前髪と鬢(びん)を特に前方に突き出して結い上げたものをいう。これは明治37年(1904)頃、女優の川上貞奴(かわかみさだやっこ)が西洋風に習って結ったのが始まりである。これが当時の女学生の間で流行し、庇髪と言えば女学生のことを示す言葉になった。
また、明治39年の春頃から「三百三高地」と言う前髪を突き出し、髷を頭の中央に高く巻き付けたものが流行し始めた。これは丁度、支那の旅順が陥落した時であったので、激戦が行われた旅順の丘陵地である303高地の名が付けられた次第である。
庇髪の川上貞奴
画像の出典:明治ガイド