「落花生(らっかせい)」の始まり
「落花生(らっかせい)」の始まり 原産地は南アメリカと言われている。日本には支那を経て江戸時代中期の宝永年間(1704~1711)に渡来した。支那から来たので「南京豆」とか「唐人豆」とも呼ばれている。...
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「落花生油(らっかせいゆ)」の始まり 明治10年(1877)2月に、千葉県令の柴原和一が鹿児島県から落花生の種子を購入して県民に栽培を勧めたのが始まりで、落花生油の製造は明治17年(1884)に千葉県匝瑳(そうさ)郡共興村(現在:千葉県匝瑳市)の土屋常蔵が行ったのが始まりである。 ピーナッツ・オイルは不乾性の油で独特の風味があり、マーガリンなどの食用以外に石鹸や軟膏などに用いられている。...
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「テトロドトキシン」の始まり テトロドトキシンtetrodotoxinはフグ毒の成分で、特にフグの卵巣や肝臓に貯蓄されている。 明治44年(1911)に薬学博士田原良純が、フグの毒素が運動神経を麻痺させることを研究し、それによりフグの毒素テトロドトキシン製造法を発明したのが始まりである。これによってライ病(ハンセン病)患者の治療に一つの新しい路を与え、さらに薬学上で多数の研究を誘致するようになった。
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「ラムネ」の始まり ラムネはイギリスのレモネード(Lemonade)が転訛したもので、炭酸ガスを水に溶解し、これに少量の砂糖とレモン香料を調味した清涼飲料水である。...
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「デモ医者(でもいしゃ)」の始まり 医術が上手でない医者、実力のない藪医者、ヘボ医者のことを言う。この言葉はすでに江戸時代から使われており、安永3年(1774)版の『天狗髑髏鑒定縁起』という本の中に「今時の医者というは、これを號(な)づけてデモ医者とて」とある。
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「リキュール」の始まり リキュールは混成酒の一種で、水・酒精(しゅせい:エチルアルコールのこと)・砂糖・植物性芳香汁・香油などを混成して作り、初めは辛烈であるが、久しく貯蔵していると香味が良くなる。...
View Article「テラマイシン」の始まり
「テラマイシン」の始まり オキシテトラサイクリンの商標名で、クロロマイセチンやオーレオマイシンと同じ放射線状菌がつくる抗生物質の薬である。その効能もほぼ同じようにリッケチア、ヴィールス性の疾病および肺炎、腸チフス、赤痢などに素晴らしい成功を見せた。 日本では昭和26年(1951)8月から健康保険でも取り扱われるようになったのが始まりである。
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「梁孝羊羹(りょうこうようかん)」の始まり 会津の東山温泉に近い塩川町の和久屋菓子店で、昭和7年(1932)の春に初めて販売されたものである。 この羊羹は、銀筒の中に流し入れた詰め込み羊羹であるため、銀紙のまま切って剥げばよいので衛生的である。 その包装紙には 色かへぬ 竹の園なる 鶯は 幾よろず代の 春を待つらんと書かれていた。
View Article「伝染病研究所(でんせんびょうけんきゅうじょ)」の始まり
「伝染病研究所(でんせんびょうけんきゅうじょ)」の始まり 明治27年(1894)2月6日に、東京芝愛宕下に開設された伝染病研究所が日本における始まりである。 これはドイツの細菌学者ロベルト・コッホの門下生である北里柴三郎が、長與専斎、長谷川泰、福沢諭吉らの後援をうけて設立したもので、これによって日本における細菌学・血清学の基が開かれた。...
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「林檎(りんご)」の始まり 「苹果(りんご)」とも書く。バラ科の植物で原産地は明らかではないが、ヨーロッパでは紀元前から賞味されている。日本には支那から伝わったものらしく、奈良の春日大社には奈良時代に渡来したという林檎があり、その庭を林檎の庭と称している。...
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「天然痘(てんねんとう)」の始まり 生まれながらの麗しい容姿も一夜にして痘痕(あばた)だらけにする、美人泣かせの天然痘は疫病の一種で、古名を赤疱瘡、赤斑瘡、赤皰瘡、稲目瘡、疱瘡、麻子瘡、赤疹などと称し、俗には滅茶、偏婆、菊石(あばた)と言った。...
View Article「冷凍魚(れいとうぎょ)」の始まり
「冷凍魚(れいとうぎょ)」の始まり 原料が豊富な地方では魚を冷凍し、産地の倉庫に貯蔵して市場に小出しすれば、常に価格の高低はなく、天候の影響も受けずにいつでも要求に応じることが出来る。 この冷凍魚は大正10年(1921)1月に、東京の葛原商会が東京魚河岸に出荷したのが始まりである。
View Article「典薬頭(てんやくのかみ)」の始まり
「典薬頭(てんやくのかみ)」の始まり 奈良時代の天平4年(732)10月に、聖武天皇は役小角の弟子であった物部韓国広足(もののべのからくにひろたり)を召して侍医とし、これを典薬頭(てんやくのかみ)に任命されたのが始まりである。
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