「天然痘(てんねんとう)」の始まり
生まれながらの麗しい容姿も一夜にして痘痕(あばた)だらけにする、美人泣かせの天然痘は疫病の一種で、古名を赤疱瘡、赤斑瘡、赤皰瘡、稲目瘡、疱瘡、麻子瘡、赤疹などと称し、俗には滅茶、偏婆、菊石(あばた)と言った。
日本には支那から伝えられたもので、奈良時代の天平7年(735)夏より冬に到るまで流行したのが始まりである。それについて『和事始』に「むかしわが国に痘瘡なし、聖武天皇の天平年中に筑紫の人新羅国に漂流し痘毒に染まりて帰る。これより日本に流布せり」とある。
種痘が広く一般に普及するまでは、嫌でも一度は罹らなければならないものとされ、その軽重は一生の幸運不運の分かれ目であり、軽く済めば幸せ、もし重ければ命を失うか、顔一面のあばたとなった。したがって当時の諺に「麻疹(はしか)は命さだめ疱瘡は器量さだめ」といわれた。