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Channel: 原始人の見聞
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「接骨医(せっこつい)」の始まり

「接骨医(せっこつい)」の始まり 日本では古くから名倉家が接骨医として有名であるが、その開祖である名倉弥次兵衛は、もと武蔵国秩父郡名倉村の人であったが、江戸時代中期に南葛飾郡千住に移った。武芸を好み、特に柔術に長じていたので、武備心流の整骨伝によってその手術を研究し、ついに明和年間(1764~1772)に接骨医を開業したのを始まりとする。

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「焼藷(やきいも)」の始まり

「焼藷(やきいも)」の始まり 江戸時代末期から始まったが、それについて、天保4年(1833)版の『世のすがた』のなかに「焼芋は寛政五年(1793)の冬、本郷四丁目番屋にて始め、焙烙焼(ほうろくやき)を売る、これむし焼のはじめなり。看板に「八里半」と書いたる行燈(あんどん)を出せり、栗(九里)にも近きというなぞなるよし、近来は所々に出来、何所の町にもあり」と書かれている。...

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「舌診(ぜつしん)」の始まり

「舌診(ぜつしん)」の始まり 江戸時代までは、患者の診察は主として脈と腹部であったが、のちに寛政7年(1795)頃から土田恕庵が『舌胎図説』を著し、次いで能條保庵が『腹舌図解』を著して傷寒(しょうかん:高熱を伴う急性疾患)の際には舌診が第一であると力説してから、ようやく舌診の方法が広く行われるようになった。

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「セメンエン」の始まり

「セメンエン」の始まり 最も広く用いられていた虫下しの薬セメンエンは江戸時代末期の安政6年(1859)11月に来日したアメリカの宣教師シモンズ(Duane B.Simmons)が横浜に病院を建て、日本の子供たちのために虫下し薬を作り、それに自分の名前を付けてセメンエンと称したのが始まりである。

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「焼塩(やきしお)」の始まり

「焼塩(やきしお)」の始まり...

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「焼鳥(やきとり)」の話

「焼鳥(やきとり)」の話...

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「施薬院(せやくいん)」の始まり

「施薬院(せやくいん)」の始まり 奈良時代の天平2年(730)4月17日に、光明皇后の御意によって平城京に創設された。これは浮浪飢病の者を収容して治療するところで、日本における慈恵医院の始まりである。 次いで、平安時代の天長2年(825)4月に、左大臣・藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が施薬院を京都に置き、貧民および一般の病人を治療したのは有名な話である。

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「薬用酒(やくようしゅ)」の話

「薬用酒(やくようしゅ)」の話...

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「千金丹(せんきんたん)」の始まり

「千金丹(せんきんたん)」の始まり万病に効くと言うので広く国民に親しまれた千金丹が、東京で盛んに行商されだしたのは、明治13年(1880)の夏頃からだという。明治14年8月8日の『東京日日新聞』に「光陰は矢の如く本家本家と市中に喧しく呼び歩きし千金丹も、起業以来はや一年になれば、去る五日に住み込みの売り子どもは柳橋の萬八に集まり、一周会を執行なせりとぞ」とある。

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「袖の梅(そでのうめ)」の始まり

「袖の梅(そでのうめ)」の始まり 江戸時代中期頃に売り出され、もっぱら粋人や通客の間で賞賛された「酔い覚まし」の妙薬である。 これは『吉原大全』に「正徳年間(1711~1716)吉原伏見町に住まいし天渓といえる隠者これを製す」とある。 主に花柳界で盛んに用いられたものである。

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「体温計(たいおんけい)」の始まり

「体温計(たいおんけい)」の始まり 明治13年(1880)のある日、柏木幸助は部屋にかかっている寒暖計を見て、ふと体温計を作ることを思いつき、その頃輸入されていた体温計(当時、米一升が3銭の時代に体温計一本は10円もしていた)の研究を続け、ようやく明治16年に完成した。次いで、山口県三田尻の寒暖計細管製造の元祖と言われる山崎豊太郎がこれを創製したのが始まりである。...

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「耐寒救命衣(たいかんきゅうめいい)」の始まり

「耐寒救命衣(たいかんきゅうめいい)」の始まり 昭和28年(1953)9月3日に、東京日比谷公園のプールで、広島海上保安庁の堀内司が創案した「耐寒救命衣」の実験が初めて行われた。...

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「体内撮影(たいないさつえい)」の話

「体内撮影(たいないさつえい)」の話...

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「胎教(たいきょう)」の話

「胎教(たいきょう)」の話 支那の周王朝の文王の母・太任が妊娠してから、胎教に心がけて「目に悪色を見ず、耳に淫声を聴かず、口に贅言(ぜいげん:余計な言葉)を出さず」という態度を取ったので、明敏な文王が生まれ、周王朝800年の基礎を作ったと伝えられ、既に3,000年の昔から胎教は行われていたのである。...

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「体内図(たいないず)」の始まり

「体内図(たいないず)」の始まり...

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「薬用葡萄酒(やくようぶどうしゅ)」の始まり

「薬用葡萄酒(やくようぶどうしゅ)」の始まり 日本では明治20年(1887)3月に、東京市浅草区森田町で、伊部庄蔵という人が「地球印」の薬用葡萄酒の製造を開始したのが始まりである。  看板画像の出典:名古屋ミルキー

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「八坂蕎麦ぼうる(やさかそばぼうる)」の話

「八坂蕎麦ぼうる(やさかそばぼうる)」の話 京都高台寺門前の名物として知られている「八坂蕎麦ぼうる」は近代のものであるが、原料の蕎麦を本場の信州から仕入れ、ぼうるの形は五弁の花形と小さい丸形とを取り混ぜてあるが、これは蕎麦の花と蕾(つぼみ)に似せた趣向であるという。...

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「第四性病(だいよんせいびょう)」の話

「第四性病(だいよんせいびょう)」の話 今まで世間によく知られ、また広がっている性病は淋病(りんびょう)・梅毒(ばいどく)・軟性下疳(なんせいげかん)の三種である。その後新しく発見されたのが第四番目の性病「第四性病」である。...

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「タカジアスターゼ」の始まり

「タカジアスターゼ」の始まり 明治39年(1906)10月に、有機化学・薬化学者の高峰譲吉がアメリカのシカゴにおいて、米を原料として作っていた従来の日本酒醸造の麹菌(こうじきん)を、フスマ(小麦の皮)を使って麹(こうじ)を作ることに成功し、その麹菌を抽出沈殿したものが、タカジアスターゼである。...

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「やたら漬(やたらづけ)」の始まり

「やたら漬(やたらづけ)」の始まり 明治18年(1884)7月に、山形市の醸造業者がキュウリ、ナスなどの季節野菜を塩漬けにして売り出したのが始まりである。 これと類似する福神漬は醤油に漬けるのにたいし、やたら漬は味噌を主とするので甘辛の味の他に味噌特有の芳醇な香りと味を持つのが特徴である。...

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