「鷹取流(たかとりりゅう)」の始まり
「鷹取流(たかとりりゅう)」の始まり 室町時代末期頃、播磨国の鷹取甚右衛門秀次という人が、『外科細嬱(げかさいせん)』および『外療新明集』を著し、その独特の技をもって治療を行い、世間ではこれを「鷹取流」と言うようになった。わが国における外科専門医の第一号である。
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「八ッ橋(やつはし)」の始まり 京都の名菓の一つであるが、その由来ははっきりしていない。 一説によると江戸時代初期に、箏曲家の八ッ橋検校城秀が亡くなって黒谷墓地に葬られた時に、その弟子たちが名匠を追憶するために琴の形を模して、名も「八ッ橋」と名付け、これを煎餅にして享保年間(1716~1736)から売り出したのが始まりだと言われている。...
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「多産(たさん)」の話 人間は一度にどれほど多くの胎児を分娩することが出来るか? 日本の文献では『続日本紀』の慶雲3年(706)のくだりに「山背(やましろ)国相楽(さがら)郡の女鴨首形名(かものおびかたな)六児を産す。初め二男を産み、つぎに二女を産み、のちに二男を産す。その初産の二男は詔(みことのり)あって大舎人(おおとねり:宮中の職員)となす」とある。これは奈良時代における新記録である。...
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「堕胎(だたい)」の始まり 人工的に堕胎したり流産することを、昔は「水子(みずこ)」、「泡子(あわこ)」とも言い、「水蛭子(みずひるこ)」という言い方は『古事記』の中にも見られる。すなわち、「然れども久美度(くみど)に興して子水蛭子を生みたまひき、この子は葦船に入れて流し棄てつ、つぎに淡島を生みたまひき、これも子の例(かず)には入らず」とあり、堕胎が神代より行われていたことが判る。...
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「薯蕷(やまいも)」の始まり 別名を自然薯(じねんじょ)、山芋、長芋、えぐいも、山薬、土山薬、銀條徳星と言い、人工的に栽培した物をツクネイモ、ナガイモ、地紙芋、鴨脚芋(いちょういも)と呼んでいる。...
View Article「陀羅尼助(だらにすけ)」の始まり
「陀羅尼助(だらにすけ)」の始まり 略して「蛇羅助」ともいう。キハダの皮やセンブリの根を煮詰めて作った黒くて苦い薬である。胃腸薬であるが気付け薬としても用いられている。本家は奈良県吉野であり、昔僧侶が陀羅尼経を唱える時に、眠気を払うために嘗めたのが始まりと言われている。 浄瑠璃の『千本桜』に「寺の門前に洞呂川の蛇羅助を請け売る人がござりますれば」とある。
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「断食療法(だんじきりょうほう)」の始まり 全ての生物は、生育している時期に一時的に痛めつけると、その後の育ちが目立って良くなる。例えば、鯉は10日間絶食させては餌をやり、また10日間絶食させて餌をやると、普通に連続して餌をやった場合よりも、体重の増え方が大きいと言われている。人間もこの原理を病気の治療に応用するようになった。...
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「柚煉(ゆずねり)」の始まり 明治20年(1887)10月頃から、大分県日田の古後家より売り出されたのが始まりである。これは、それまで少しも顧みなかった柚の肉を巧みに利用し、砂糖を加えて練り込んで作った、香りの良い風雅な菓子である。これが世の嗜好に適して評判となり、たちまち名物の一つになった。 柚煉り羊羹画像の出典:日田市観光協会
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「チクロパン」の話 チクロパンは商品名で一般名はヘキソバルビタールという。昭和26年(1951)6月に、ヒロポンが覚醒剤取締法の適用を受けてから、それに代わって新しく登場したのが麻酔剤チクロパンである。...
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「柚餅子(ゆべし)」の始まり 江戸時代末期に、伊予国(愛媛県)新居郡西条藩主松平頼学に仕えていた茶坊主から教えられ、白米の粉に白味噌と砂糖を加え、それに柚の絞り汁を加えて練り込み、竹の皮に包んで蒸し固め、これに「柚餅子」と名付けて売り出したのが始まりである。柚餅子画像の出典:(株)星加のゆべし
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「膣の開口手術(ちつのかいこうしゅじゅつ)」の始まり 伝説の小野小町のように、膣欠損症という可哀相な不具者は楽しい恋愛の喜びにひたることも出来ないで、寂しく社会の隅で一生を過ごしてきたのであるが、近代にいたってこれを治す手術は色々試みられてきたが、皆失敗してしまった。...
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「チフス」の始まり チブスとも言う。西洋が最も古く16世紀の初頭から発疹チフスが初めて全ヨーロッパに広がり、次いで18世紀には腸チフスが現れ始めた。 日本では当時における医書にも瘟疫(おんえき)または温病というのがあって、これは熱性病で側にいる人にたちまち伝染し、その病状はほとんどチフスのようなものであった。
View Article「百合羊羹(ゆりようかん)」の始まり
「百合羊羹(ゆりようかん)」の始まり 明治15年(1882)5月頃、島根県浜田の松岡という人が計算器などを商売していたが、そのかたわら好んで百合を栽培していた。そして出来た百合の根を販売してみたが、あまりにもクズが多いのに困り、ふと百合羊羹の製造を思いつき、色々苦心を重ね、ついに赤小豆を使用しないで百合根で餡を作ることに成功した。...
View Article「忠実な看護婦(ちゅうじつなかんごふ)」の話
「忠実な看護婦(ちゅうじつなかんごふ)」の話看護婦「モシモシ、起きて下さい。モシ」患者「ウニャウニャ、せっかく良く寝ていたのに、なぜ起こすのですか?」看護婦「デモ、睡眠薬を飲む時間ですから」
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