「焼鳥(やきとり)」の話
大正時代初期までは焼豚はあったが、焼鳥を商売としたものは無かった。ところが大正12年(1923)九月の関東大震災直後に、東京市日本橋区室町の「髯の平野」で焼鳥を始めた。それは高級な焼鳥で、世間の多くの焼鳥とは違い、鳥の血肝、砂肝、白玉、心臓、皮身、卵の六種類に分けて出し、それぞれの持ち味を味わうもので、特に「たたき」と「玉ひも」に独特の腕を見せ、また胎卵の半熟、若鶏のもも焼、合鴨のロースなど、いずれも食通に喜ばれた。
焼鳥・玉ひも
画像の出典:八鶏
「焼鳥(やきとり)」の話
大正時代初期までは焼豚はあったが、焼鳥を商売としたものは無かった。ところが大正12年(1923)九月の関東大震災直後に、東京市日本橋区室町の「髯の平野」で焼鳥を始めた。それは高級な焼鳥で、世間の多くの焼鳥とは違い、鳥の血肝、砂肝、白玉、心臓、皮身、卵の六種類に分けて出し、それぞれの持ち味を味わうもので、特に「たたき」と「玉ひも」に独特の腕を見せ、また胎卵の半熟、若鶏のもも焼、合鴨のロースなど、いずれも食通に喜ばれた。
焼鳥・玉ひも
画像の出典:八鶏