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Channel: 原始人の見聞
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「体温計(たいおんけい)」の始まり

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「体温計(たいおんけい)」の始まり
 明治13(1880)のある日、柏木幸助は部屋にかかっている寒暖計を見て、ふと体温計を作ることを思いつき、その頃輸入されていた体温計(当時、米一升が3銭の時代に体温計一本は10円もしていた)の研究を続け、ようやく明治16年に完成した。次いで、山口県三田尻の寒暖計細管製造の元祖と言われる山崎豊太郎がこれを創製したのが始まりである。
 その苦心談の中に「舶来の体温計を買ってきて、それを解剖し、模造してみました。その当時の体温計はこんにちのとは式も違い、振って水銀をおろしてのち使うのと、また振らないで使うのとありました。一例を言ってみますと、体温計の硝子部は球から急に細管にはならず、漏斗状をしてようやく細管となります。その球と細管との中程へ、球の軸部を通して他の細管をおし入れておくのであります。ですから水銀がふくれると、そのうち心細管の口と、球頭の管壁との触接部のすきのある無しのあいだを通って上に昇りますが、さて冷却しましても、下方がかように塞がってる同様になっておりますから、球内へ降りることをせず、いわゆる留点にとどまっておるのであります」と言っている。それがまず薬学博士丹波敬三によって認められ、次いで医療器械店のいわし屋松本儀兵衛から売り出された。
 また、三角形体温器は理学博士鶴田賢次によって発明製作されたものである。

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