「音楽留学生(おんがくりゅうがくせい)」の始まり
「音楽留学生(おんがくりゅうがくせい)」の始まり 明治22年(1889)4月に、幸田延子がヴァイオリンの修行のために文部省より選抜されて海外留学を命ぜられ、オーストリアのウイーンにある音楽学校で学び、次いで欧米諸国を歴遊して明治28年11月に帰国した。これが音楽留学生の始まりである。
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「ガール・スカウト」の始まり これは「そなえよつねに」の標語のもとに、昭和22年(1948)11月14日に東京都のガール・スカウト9個団150名が、第一回ラリー(つどい)を杉並区久我山の立教女学院において開催し、2時間にわたって歌やゲーム・ダンス、手旗競技などに興じたのが始まりである。
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「海外放送(かいがいほうそう)」の始まり 昭和9年(1934)4月29日の天長節(昭和23年に天皇誕生日と改称)に際し、目出度い御祝いのために汎太平洋諸国との間に行われた交換放送が、日本における国際放送の始まりである。 その時の参加国はフィリピン、ジャワ、満州国、アメリカ合衆国の4ヶ国で、成績は頗る良好であった。...
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「外国貴族の来日(がいこくきぞくのらいにち)」の始まり 明治2年(1869)7月22日に、イギリス皇子シューク・オブ・イジンホルクが来日された。日本の朝廷においても貴賓の礼をもってこれを待遇され、東京浜殿の石室を延遼館と改めて宿舎に宛てた。こうして28日に皇子は参内して明治天皇に謁見し、8月11日に横浜を退去された。これが外国貴族の来日の始まりである。
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「外国人居留地(がいこくじんきょりゅうち)」の始まり 西洋人に対しては江戸時代初期の寛永18年(1641)4月に、長崎湊の出島に限ってオランダ人の居留を許したのが始まりである。後の永い間は鎖国政策のために他の外国人は例え来日したとしても寄留することは拒否された。...
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「外字新聞(がいじしんぶん)」の始まり 日本における外字新聞は江戸時代末期の文久元年(1861)6月に長崎で創刊された「半週間」(代表ハンサード)の『ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドヴァタイザー(The NagasakiShipping List and Advertiser)』という英字新聞が始まりである。...
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「外字新聞(がいじしんぶん)」の始まり 日本における外字新聞は江戸時代末期の文久元年(1861)6月に長崎で創刊された「半週間」(代表ハンサード)の『ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドヴァタイザー(TheNagasaki Shipping List and Advertiser)』という英字新聞が始まりである。...
View Article「街頭録音(がいとうろくおん)」の始まり
「街頭録音(がいとうろくおん)」の始まり 庶民の公平な批判を聞くために、NHK東京放送局が昭和21年(1946)5月31日に、東京銀座の資生堂前において「あなたはどうして食べますか?」を主題として第一回の街頭録音を行ったのが始まりである。
View Article「偕楽園(かいらくえん)」の始まり
「偕楽園(かいらくえん)」の始まり 天下の三名園として有名な水戸市の偕楽園は、江戸時代後期の天保12年(1841)5月に水戸藩主徳川齋昭が財政困難をやりくりして造った名園であって、「民衆と偕(とも)に楽しむ」ことができる様にと公開した日本で最初の公園である。...
View Article「改良半紙(かいりょうはんし)」の始まり
「改良半紙(かいりょうはんし)」の始まり 半紙とは小型の杉原紙(鎌倉時代以降に播磨国杉原谷村で作られた和紙)を半分に切ったことからその呼び名がある。 明治18年(1885)4月に、越前国の加藤覚太郎が模範製紙工場を五箇庄に設立し、次いで改良半紙および大半紙の製造を開始したのが始まりである。
View Article「貝類研究(かいるいけんきゅう)」の始まり
「貝類研究(かいるいけんきゅう)」の始まり 兵庫県福良町(兵庫県南あわじ市福良)の平瀬與一郎は京都に移って貝類の研究に努め、アメリカ人マーシャル・ゲンスとジョン・ギウリクらの教えを受けて、収集した貝類は約3,000種におよび、その内、新種は1,000余、また平瀬の名前を冠したもの69余種におよんだ。...
View Article「科学小説(かがくしょうせつ)」の始まり
「科学小説(かがくしょうせつ)」の始まり 明治13年(1878)5月に、川島忠之助がフランスのジュウル・ヴェルヌ原作の『新説八十日間世界一周』を翻訳して公刊したのが始まりである。次いで『海底旅行』『月世界旅行』『月世界旅行』をはじめ、『アフリカ内地三十五日間空中旅行』『婦人地球周遊記』などが出版されたが、いずれも科学趣味を普及すると同時に異国情緒を鼓吹し、これが好奇心を誘い一般に歓迎されたのである。
View Article「学士院賞(がくしいんしょう)」の始まり
「学士院賞(がくしいんしょう)」の始まり 日本における最高の権威ある研究功績に対して授与される学士院賞は、明治44年(1911)に木村栄の「地軸変動の研究にZ項の発見」に恩賜賞が授与されたのを始とし、また院賞は翌明治45年に高峰譲吉の「アドレナリンの発見」に授けられたのが始まりである。
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