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Channel: 原始人の見聞
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「外国人居留地(がいこくじんきょりゅうち)」の始まり

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「外国人居留地(がいこくじんきょりゅうち)」の始まり
 西洋人に対しては江戸時代初期の寛永18(1641)4月に、長崎湊の出島に限ってオランダ人の居留を許したのが始まりである。後の永い間は鎖国政策のために他の外国人は例え来日したとしても寄留することは拒否された。
 しかし、江戸時代末期の安政元年(1854)2月に、下田と函館の両港を開き、次いで安政6年6月には横浜と長崎などを開いてからは、外国人は特に横浜の山の手に居を構える者が多く、その当時の異人屋敷の有様は『横浜奇談』のなかに「壁には尺石をつみ重ね、障子はギヤマンにて張り、間毎のしきものは、五畳敷あるいは十畳敷等いずれも一枚織にて色々の模様あり、その麗しきこと、花を布きならべたる如し、冬向にいたれば、一間毎に堅炭、または石炭などを沢山に起し、その煙は銅桶をもって屋根あるいは壁等に穴をあけ、其の桶より洩せば、天井、壁など少しもくすぶらず、あたたかきこと三・四月頃の如し、間毎に我が国の額堂の如く、ギヤマン絵の額をかけつらねたり、その美麗なることまた類無し、夜分に至れば燈台にギヤマンの上覆をかくれば、その明るきこと毛一筋をも見あやまることなし、いずれも屋敷の門のうえにはギヤマンにて製造なしたる行燈の如きものあり、依って門の内外とも、白昼に異ならず、実に目覚ましき事どもなり」とある。

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