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Channel: 原始人の見聞
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「足(あし)」の話

「足(あし)」の話 足のことをビルマ語で「アッセ」と言い、クメール語(カンボジア語)では「アシ」と言って、物のハシ(端)のことを意味しており、それが転訛して日本語の「アシ」になったと言われている。 人の下肢全体を「脚(あし)」という漢字をあて、形態学的にくるぶしより下部を「足(あし)」と呼んでいる。「脚線美(きゃくせんび)」というが、「足線美」とは言わない。...

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「汗(あせ)」の話

「汗(あせ)」の話 人の皮膚には約300万の汗腺があり、季節を問わず絶えず水分を蒸発させており、体温を高めないように保つ役割をしている。夏の厳しい暑さや筋肉運動をする時は目に見えて汗が出るが、これもまた体温を外に放散して平熱を保つようにする自然的な計らいである。...

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「頭(あたま)」の話

「頭(あたま)」の話 人は顔と首を除いた部分に頭髪が生えており、この部分だけを頭部の他の部分から区別して「頭」と呼ぶこともある。...

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「アドレナリン」の始まり

「アドレナリン」の始まり 副腎髄質から分泌されるホルモンのことで、明治33年(1900)に高峰譲吉と上中啓三によって牛の副腎からアドレナリンを発見し、翌年、上中啓三が世界で始めて結晶化に成功した。...

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「阿片(あへん)」の話

「阿片(あへん)」の話 ケシの実や蕾から採った液を乾燥した褐色の粉末で、麻酔剤に用いられ、ギリシャ神話の中に、美女ヘレネがポリダムナから薬草の知識を授けられたが、その中に酒を入れて飲めば悶えを忘れるという「憂さ知らず」というのがあり、これが阿片であると言われている。...

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「アルコール」の話

「アルコール」の話 世の中にはアルコール中毒に罹っている者が多いが、このアルコールが薬品として造られたのは、明治6年(1873)5月に東京市本所区番場町3番地に於いて、太田倉吉が焼酎再蒸留の方法を用いて製造を行ったのが始まりである。...

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「鮑療法(あわびりょうほう)」の話

「鮑療法(あわびりょうほう)」の話 「良薬は口に苦(にが)し」という諺があるが、美味しい鮑を食べればどんな病気も治るという珍しい話が、昭和3年(1928)8月の『婦人公論』に出ている。...

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「按摩(あんま)」の話

「按摩(あんま)」の話 民間療法の一つとして、疲労回復や疼痛(とうつう:ずきずきする痛み)を取り除くために、体を按摩することは古い時代から行われており、中国では導引(どういん)、五禽(ごきん)、坐切(ざせつ)などと呼ばれ、いわゆる医療体操が行われていた。...

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「安楽死(あんらくし)」の話

「安楽死(あんらくし)」の話 不治の病に悩む病人の切なる依頼により、やむなく他人がその病人に毒を与えるとか、あるいは注射を行って安楽に死なせてやることを言う。 アメリカには安楽死協会(1937年設立)があり、医師などの場合には病人の要求によって安楽殺人を認めるべきであるという議論が行われている。...

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「医の文字(いのもじ)」の始まり

「医の文字(いのもじ)」の始まり...

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「医化学(いかがく)」の始まり

「医化学(いかがく)」の始まり 明治17年(1884)10月にドイツに留学した隈川宗雄(くまかわむねお)は、ベルリン大学に於いてザルコースキイ教授について医化学を研究し、明治23年10月に帰国して翌年4月に医科大学教授となった。次いで、明治26年9月に医化学も独立した一講座となり、それを担当して医化学の発展の努め、糖定量法の改良や脂肪の研究などは代表的なもので、これが日本における医化学の始まりである。

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「医学(いがく)」の始まり

「医学(いがく)」の始まり 医学が一つの科学として哲学から分離したのは、古代ギリシャの医師ヒポクラテスの時代から始まった。したがってヒポクラテスは現代医学の開祖と仰がれている。...

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「医学館(いがっかん)」の始まり

「医学館(いがっかん)」の始まり...

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「医学雑誌(いがくざっし)」の始まり

「医学雑誌(いがくざっし)」の始まり 明治20年(1887)4月に発行された『東京医学会雑誌』が、医学雑誌の始まりである。その当時の会長は三宅秀、副会長は緒方正規であり、会費は毎月10銭であったが雑誌は無料であった。

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「医学士(いがくし)」の始まり

「医学士(いがくし)」の始まり 明治12年(1879)10月に、東京大学の医学部に於いて医学本科の卒業生18名と製薬学本科の卒業生19名に対し、その学位記を授与したのが始まりである。

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「医学専門家(いがくせんもんか)」の始まり

「医学専門家(いがくせんもんか)」の始まり 推古天皇10年(602)10月に、百済(くだら)の僧観勒(かんろく)が来朝して方術の書を献上したところ、勅命により書生を撰び、学習させた。これが日本における医学専門家の始まりである。

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「医学博士(いがくはかせ)」の始まり

「医学博士(いがくはかせ)」の始まり 古代における医博士は別として、近代における医学博士は明治21年(1888)5月7日に、池田謙斎・橋本綱常・高木兼寛・三宅秀・大澤謙二らに対して文部省から授与されたのが始まりである。

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「医科大学(いかだいがく)」の始まり

「医科大学(いかだいがく)」の始まり 明治元年(1868)6月に旧幕府医学所を改めて、鎮将府(ちんじょうふ)の所属とし、また和泉橋通りの旧藤堂屋敷に付属の病院を建てて大病院と称し、薩摩藩の徴士(ちょうし)・前田杏斎を主事として、イギリスの医師ウイリスを招いて治療と教育のことを担当させた。...

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「医師(いし)」の始まり

「医師(いし)」の始まり 昔は医師のことを「くすし」と呼んだが、これは文武天皇の大宝元年(701)8月に制定された、いわゆる大宝律令によって、医師(くすし)を宮内省典薬寮に30人、衞門府・左右衞士府・左右兵衞府および諸国に各1人、また太宰府に3人を置かれたのが、日本史上に医師という名称が見えた始まりである。

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「医史学(いしがく)」の始まり

「医史学(いしがく)」の始まり 日本で医史学が作られたのは、江戸時代前期の寛文3年(1663)に儒医の黒川道祐が『本朝医考』三巻を著し、これに日本医家の沿革および治療産薬の事を記載したのが始まりである。 ところが、この書籍が刊行されると同時に、各医家から色々と異議が唱えられ、ついに幕府に上書して絶版にされてしまったという。

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