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Channel: 原始人の見聞
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「医学(いがく)」の始まり

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「医学(いがく)」の始まり
 医学が一つの科学として哲学から分離したのは、古代ギリシャの医師ヒポクラテスの時代から始まった。したがってヒポクラテスは現代医学の開祖と仰がれている。
 中国では太昊伏羲(たこうふくぎ)が初めて八卦(はっけ)を作って百病の理(ことわり)を推察し、炎帝神農は百草をなめて薬を作って病を治療し、黄帝軒轅(けんえん)は岐伯を訪ねて医学書『黄帝内経(こうていだいけい)』をつくり、いずれも医学の神祖と言われている。
 日本における医学の始祖は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神と言われ、大国主命は少彦名命とともに天下を経営し蒼生畜産(そうせいちくさん:国民や産業)のために病気治療の方法をはじめ、鳥獣昆虫などの災異を払うために呪いの方法を定めた。
 くだって欽明天皇十五年(554)正月には、百済国王が日本の求めによって医博士奈卒王有稜陀(うりょうだ)、採薬師施徳潘量豊(せとくはんりょうほう)、固徳丁有陀(ことくていうだ)を来朝させ、次いで推古天皇十年(602)十月には百済僧観勒(かんろく)が来朝して方術の書を献ずるなど、日本における医学も本格的に発達する糸口が付いたのである。
 

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