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Channel: 原始人の見聞
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「医科大学(いかだいがく)」の始まり

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「医科大学(いかだいがく)」の始まり
 明治元年(1868)6月に旧幕府医学所を改めて、鎮将府(ちんじょうふ)の所属とし、また和泉橋通りの旧藤堂屋敷に付属の病院を建てて大病院と称し、薩摩藩の徴士(ちょうし)・前田杏斎を主事として、イギリスの医師ウイリスを招いて治療と教育のことを担当させた。
 次いで明治2年2月には医学校と改めたが、12月にはさらに大学東校と称して数学・格致学(かくちがく:物理学)・化学・動物学・植物学・鉱物学を予科とし、解剖学・生理学・薬物学・病体解剖・毒物学・病理学・治療学を本科とし、学則の模範をドイツに採ることに決定した。
 そして、明治4年8月には単に東校と改め、明治7年5月にはさらに東京医学校と改称し、明治10年4月には東京開成学校と合併して東京大学となり、その初代総理には池田謙斎が就任した。
 明治12年4月22日には東京大学医学部として開校し、明治19年3月1日には帝国大学令の発令により東京大学は帝国大学と改められ、医学部は医科大学となり、初代の学長に三宅秀が就任したのが日本における医科大学の始まりである。

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