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Channel: 原始人の見聞
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「扇の贈遣(おうぎのぞうけん)」の始まり

「扇の贈遣(おうぎのぞうけん)」の始まり 平安時代中期頃には、宮中に於いて“暑中賜扇の儀”が行われ、扇を臣下に賜ったが、扇を世間で贈遣に使うようになったのは、鳥羽天皇のころであるらしく、文献では『中古記』の永久二年(1174)八月十日のくだりに初めてこのことが見えている。...

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「大原女(おはらめ)」の始まり

「大原女(おはらめ)」の始まり 京都比叡山の西北麓の盆地にある大原村から、紺色の着物に御所染めの帯を締め、白い脚絆を付け、頭の上に柴・薪・花などを載せて京都の街に売りに出る女性のことを言う。...

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「オール・バック」の始まり

「オール・バック」の始まり 大正5年(1916)の夏から青年の間で盛んに流行し始めた髪形のことで、長めの総髪を後ろに撫で梳かしたものを言う。 これは同年3月に来日したアメリカの曲芸飛行家アート・スミスがもたらしたものである。 アート・スミス画像の出典:ウィキペディア

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「押入れ(おしいれ)」の始まり

「押入れ(おしいれ)」の始まり 平安時代から貴族らの家には、塗籠(ぬりごめ)という現在の箪笥(たんす)や長持(ながもち)の代わりをするものをつくりはじめた。それは一室を限って周囲を壁にし、その中に衣服・調度品・金銀などを納めた。壁には板を張るか、あるいは土を塗ったもので、これが後の押入の始まりである。

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「木遣り(きやり)」の始まり

「木遣り(きやり)」の始まり 重い木石を運ぶ時に、音頭を取って指揮する事を言う。『嬉遊笑覧』によれば、鎌倉時代の建仁2年(1202)6月に、僧栄西が建仁寺の造営の時に人夫に下知して自分の名前を「えいさい、えいさい」と呼ばせたことから起こったものであるという。 木遣り画像の出典:ものしり事典

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「狂歌合(きょうかあわせ)」の始まり

「狂歌合(きょうかあわせ)」の始まり...

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「狂歌師の屋号(きょうかしのやごう)」の始まり

「狂歌師の屋号(きょうかしのやごう)」の始まり 江戸時代の天明年間に、有名な狂歌師・大屋裏住(おおやのうらずみ:姓は久須美、通称は白子屋孫左衛門。号は大奈権厚記・窓雪院など。1734~1810)が藤原定家の遠忌に「鶯も蛙もおなじ歌仲間経読むもあり唯鳴くもあり」と詠じて、ある縉紳(しんしん:身分の高い人)よろ「萩の屋」の号を贈られたのが始まりである。 大屋裏住画像の出典:古今狂歌袋後編大屋裏住わか家ハ...

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「狂歌選集(きょうかせんしゅう)」の始まり

「狂歌選集(きょうかせんしゅう)」の始まり 江戸時代の元禄年間に、大坂高津に住んでいた真宗の僧生白堂行風が松永貞徳の門人松江重頼について俳諧をよくし、また好んで狂歌を詠じ、『古今夷曲集』および『後撰夷曲集』を選んで展覧に供したのが始まりである。

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「狂言(きょうげん)」の始まり

「狂言(きょうげん)」の始まり 平安時代の散楽(さんがく:奈良時代に中国から渡来した雑芸)や田楽(でんがく:農耕行事に伴う歌舞)などの所作事より一転して、室町時代において能が盛んになるに従って発達した戯劇・諧謔(おどけ)のことをいい、能楽の間に演ずるものであるが、後に転じてウソ偽りのこと、すなわち「あれは狂言だ」とか「ひとつ狂言自殺でもするか」などに用いられるようになった。

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「お太鼓結(おたいこむすび)」の始まり

「お太鼓結(おたいこむすび)」の始まり 江戸時代後期の文化14年(1877)11月に、江戸の亀井戸天神の太鼓橋が再建され、この頃からお太鼓結が流行し始めたという。その理由は、背負いあげの間のすいた様子がちょうど太鼓橋に似ているので、太鼓に結ぶと言ったのが、いつの間にか「お太鼓結」の名前になったものである。 お太鼓結画像の出典:ブログ・中村麻美のふわりまとう

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「小田原提灯(おだわらちょうちん)」の始まり

「小田原提灯(おだわらちょうちん)」の始まり 室町時代の天文年間(1532~1555)に、相模国小田原駅新宿町の甚左衛門という人が、關本最乗寺の山中から材料を採って製作したのが始まりである。江戸時代の享保年間(1716~1736)頃から東海道で盛んに売り広められた。 また、甚左衛門は伸び縮が自在な提灯作りの元祖でもある。 小田原提灯画像の出典:伊能社中

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「男芸者(おとこげいしゃ)」の始まり

「男芸者(おとこげいしゃ)」の始まり 江戸吉原の交五町(まじりごちょう:俗称は磯八という)が男芸者の元祖といわれている。また、面白いのは天保年間に本郷の湯島には男芸者の見番があったという。...

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ぼちぼち復帰

しばらくぶりです。4月7日から九州大分・臼杵・大阪・伏見・京都を取材旅行して帰宅した翌日から、突然咳き込み、気管支肺炎と診断され、完全に咳が無くなるまで結構な時間を要しました。今は病気に対する不安もなくなり、なんとか普段の生活に戻りつつあります。ブロ友さん ご心配いただきありがとうございました。ブログの続きも復活させます。どうぞ宜しくお願いいたします。

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「狂言神楽(きょうげんかぐら)」の始まり

「狂言神楽(きょうげんかぐら)」の始まり 江戸の人、辰巳屋惣兵衛は幼い時から道路で戯れに踊ることを好んでおり、人が興に入るのを楽しんでいたが、天明期の末(1778年頃)に仮面を被って色々な踊りを行うようになり、これを狂言神楽と言うようになったのが始まりである。

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「狂言本(きょうげんぼん)」の始まり

「狂言本(きょうげんぼん)」の始まり...

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「狂言幕(きょうげんまく)」の始まり

「狂言幕(きょうげんまく)」の始まり...

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「狂名(きょうめい)」の始まり

「狂名(きょうめい)」の始まり 狂歌の作者として用いる号で、「きょうめい」ともいう。 江戸の市ヶ谷左内坂に住んでいた島田左内友直は生来酒を好み、また狂歌をもてあそんで狂名を「酒上熟寐(さけのうえのじくね)」と号したのが東都における狂名の始まりといわれている。しかし、老後は禁酒して「瓢空酒(ひさごのからざけ)」と改めたという。...

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「局外劇作家の上演(きょくがいげきさっかのじょうえん)」の始まり

「局外劇作家の上演(きょくがいげきさっかのじょうえん)」の始まり 新派俳優の川上音次郎が明治28年(1895)に、我が国最高の檜舞台である歌舞伎座に出演することになり、その時、二番目にジャーナリストで翻訳家であった森田思軒の作品を上演した。これが局外劇作家のものを上演した始まりである。森田思軒画像の出典:ウィキペディア

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「玉眼人形(ぎょくがんにんぎょう)」の始まり

「玉眼人形(ぎょくがんにんぎょう)」の始まり 江戸時代の天保年間に大坂から江戸に下った原舟月という人形師が、十軒店(じゅっけんだな)に店を開き、紫宸殿の模型に雛人形を美しく飾り始め、二代目の舟月が、それまで描き目であった人形に玉眼を施す製法を創案して、江戸の人気を集めた。 鎌倉時代より玉眼は仏像などで行われていたが、市井(しせい)で売る雛人形に応用したのは、これが始まりである。

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「曲独楽(きょくごま)」の始まり

「曲独楽(きょくごま)」の始まり...

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