Quantcast
Channel: 原始人の見聞
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1929

「狂言本(きょうげんぼん)」の始まり

$
0
0
「狂言本(きょうげんぼん)」の始まり
 狂言本の始まりについて『南水漫遊』という随筆に「往古は定まりたる作者という者無し。俳優家の立もの寄合筋立てして、せりふは出会いに言うてみるをならしと云う。その内に定まるゆえ根本というものなし。一日の狂言とても短きものにて、今の如く難しき仕組みは役者の心にあることなり。それより後には役者も記憶薄く、昔の立者の勤めしを見おぼえ、心覚に書きて置しが、古代と当代とに少々づつは風儀の違うところを書き添えて本とせしが根本のはじまりなり。その後、宝暦十二年(1762)午の春、東武の作者堀越菜陽、浅草塔中にて本読み会ということをはじめ、また明和四年(1767)亥の秋、深川汐濱にて興行す。大坂にては天明のはじめ、永長堂奈河亀助かぶき講釈と号けて根本の本読みを始め、天明四年(1784)辰の秋、角の芝居に藤川菊松座にて思花街客性という狂言、並木五瓶作にて大当たりせしより、舞台造物の図を描き、せりふ付きの読み本をだし、そののち役者似顔流行におよび年毎に画入の根本出版なすこととなり、その以前、宝暦七年(1757)丑の四月、大西芝居にて四天王寺伽羅鑑並木正三作にて、六月までの大入り、その節読み本浄瑠璃とて、右の院本出版、云々」とある。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1929

Trending Articles