Quantcast
Channel: 原始人の見聞
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1929

「男芸者(おとこげいしゃ)」の始まり

$
0
0
「男芸者(おとこげいしゃ)」の始まり
 江戸吉原の交五町(まじりごちょう:俗称は磯八という)が男芸者の元祖といわれている。また、面白いのは天保年間に本郷の湯島には男芸者の見番があったという。
 明治5年(1872)9月6日の『東京日々新聞』に、大阪からの来信として「遊冶郎(ゆうやろう)の髯(ひげ)の塵を払ふもの我国にては男芸者といひ、往昔より今日に至るまで甘じて口に糊する多しと雖も自主の権利を賜ふ方今に至っては実に恥ずべき事といふべし既に当府に於いては今般左の通り御布令ありたり、人々有用の職業につき自由の権を以て世を渡るは日新の今日緊要のことに候ところ従来男芸者と唱へ遊郭その他割烹店に於いて酔人冶郎のために髯を払いて娼を進め浩然自ら甘んじ一生を過す者あり、愧(はじる)べきの至り有間敷(あるまじき)ことに候、向後一切禁止せられ候条その業体の者は速やかに他業に相転じ銘々其方によって食し今日の風化に背かざるよう心掛けるべき事」とあり、男芸者の禁止は大阪府から始まっている。
 なお、男芸者は太鼓持ちが本役ではなく、女の芸者に恥を掻かせたり、面目を失わせたりしない程度に、芸事を一通りなんでも心得ていて、客から求められればそれを演じ、常に座敷をしらけさせないように引き立たせることを表仕事としていた。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1929

Trending Articles