「編み笠(あみがさ)」の始まり
「編み笠(あみがさ)」の始まり 藁(わら)・菅(すげ:カヤツリグサ科スゲ属の草本)・藺草(イグサ)・竹などで編んだ笠のこと。平安時代から存在したが、江戸時代初期に大いに流行した。...
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「活歴(かつれき)」の始まり 明治11年(1878)10月に新富座で九代目市川団十郎が河竹黙阿弥作の「齋藤実盛」を演じた時、従来の歌舞伎の装束を廃止して、平安から鎌倉時代の風俗を調べて、立烏帽子に水干、白の大口袴という目新しい芸風を始めたので、その当時の劇評家・仮名垣魯文がこれを「活(い)きた歴史」という意味で「活歴」という新造語を用いたのが始まりである。...
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「家庭舞踊(かていぶよう)」の始まり 明治22年(1889)に純正調リード・オルガンを発明した人として世界的に有名な理学博士・田中正平が、明治32年(1899)4月にヨーロッパ留学から帰国して創唱したのが始まりである。...
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「菖蒲の根合(あやめのねあわせ)」の始まり 菖蒲を集めて、その優劣を競い、和歌を詠んで興ずる遊びを言う。このことが文献に登場するのは『扶桑略記』の後冷泉天皇のくだりに「永承六年(1051)五月端午日、殿上侍臣、左右相分(あいわかれ)菖蒲合事有り、和歌五首」とあるのが始まりで、平安時代に行われていたことが判る。...
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「仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)」の始まり 日本では昔から3歳の子供ですら知らない者はないと言われるくらい有名な戯曲で、元禄15年(1702)12月14日に行われた大石内蔵助良雄ら元赤穂藩四十七士の仇討ちを脚色したものである。 これは竹田出雲清定の作で、弟子の並木千柳宗輔と三好松洛の二人が補助し、寛延元年(1748)8月に大坂の竹本座において上演されたのが始まりである。 〔おまけ〕...
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「行燈(あんどん)」の始まり 燈火具の一つで、屋内では燈台または燭台を用い、行燈は夜道などを行く時に用いたもので「行く燈(ともしび)」と書くことは、江戸時代後期に伊勢貞丈が著した『貞丈雑記』に見られる。...
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「言名付(いいなづけ)」の話 言名付と言う言葉がいつ頃起こったかは、はっきりしない。ただ、その起こりは、男子が幼い間は童名(わらべな)とか幼名と呼んでいて、元服すると実名を付けたと同じように、少女の間は幼姫君(いとひめぎみ)とか中姫君(なかひめぎみ)とか大姫君(おおひめぎみ)などと言い、年頃になって婚約が決まると本名を撰んで名を付ける習俗(ならわし)から始まったと考えられる。...
View Article「十六夜(いざよい)」の話
「十六夜(いざよい)」の話 毎月陰暦の十六日の夜、特に5月の十六日の夜は、性交禁忌の日として昔から「男女の交わり」をしない風習があり、もしこれを犯した時は数年経たないうちに死ぬとさえ言われていた。...
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「石橋(いしばし)」の始まり 「石橋を叩いて渡る」という諺で馴染みのある石橋の起こりは、桓武天皇の延暦13年(794)10月に都を平安京に遷都した時に、宮城の周囲にある溝に架けられた橋は、その多くが石で造られたものであった。これが日本における石橋の始まりとされている。 それまでは主に丸木橋や竹や蔓でつくった吊り橋であった。
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「碑(いしぶみ)」の始まり 「石文(いしぶみ)」の意味で、ある事を後世に伝えるために、その内容を記載した石碑のことである。 推古天皇の4年(596)に、厩戸豊聡耳皇子(うまやどのとよとみみおうじ:聖徳太子)が、伊予国の道後温泉に行かれた時、賞賛の言葉を石に彫らせて建てられた。これを世に「道後の碑」と言う。この碑が日本において文字を石に刻んで後世に伝えるようになった始まりである。...
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「歌舞伎(かぶき)」の始まり 歌舞伎の文字が文献に見られたのは『日本後紀』の延暦18年(799)7月のくだりに「伊勢齊宮(いせいつきのみや)の新嘗會を停め、ただし歌舞伎をもって九月祭にそなふ」とあるのが始まりである。しかし、後の歌舞伎とは全く意味が異なるものであることは勿論である。...
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「石風呂(いしぶろ)」の話 穴風呂とか空風呂(からぶろ)とも言い、天然の岩穴を利用し、あるいは石を積んで室(むろ)を作り、その中で火を焚いて熱し、湿った筵(むしろ)を敷いたり、あるいは水を打ったりして水蒸気を作り、その中に入って浴するのである。...
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「歌舞伎座(かぶきざ)」の始まり 明治22年(1889)に、金融業者の千葉勝五郎が演劇改良運動の提唱者・福地櫻痴(おうち:福地源一郎)の勧誘によって歌舞伎座を東京京橋木挽町に創立し、次いで、明治29年に株式組織化して改修工事を行い、11月10日には開場式を行った。その際の場代は、上等桟敷の一間につき4円70銭を最高に、20銭の席まで用意されていた。...
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